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宇宙飛行士のウェルビーイング

はじめに

今回は、宇宙飛行士にとってのウェルビーイングな側面のひとつであると考えられている「オーバービュー効果(概観効果)」について整理した論文の内容をご紹介します。

オーバービュー効果によりもたらされる感情

宇宙飛行士は、宇宙船もしくは船外での活動において「大気圏外から地球を客観的に眺める」という特別な体験をします。この体験は地上での生活や訓練では決して得られないものであり、心理的に特別な効果があると考えられています。
作家のフランク・ホワイト氏は宇宙飛行士へのインタビューを重ねる中で、この特別な効果に関する共通項を見出し「オーバービュー効果」と呼び、驚きや畏敬の念、自然との一体感、自己超越といった感覚を伴う真の変革的体験であると論じました。

畏敬の念とは、「大自然との邂逅や神秘的な体験」といった自然的な状況、もしくは「自分よりも偉大であると感じる存在を知覚する」といった社会的状況において生じる感情であるとされています。畏敬の念は幸福感を向上し、心理的・身体的な健康を向上したり、利他的行動や向社会行動を高めるといったポジティブな効果があることが分かっています。

自己超越とは、自我の減少やつながりの意識の増大による”一体感”のことを指します。その”一体感”は、空間認識に関連する脳の領域の活動が一時的に低下することで、自分をまわりの環境から物理的に分離することへの意識が低下することで生じるものであることが明らかになっています。自己超越に関してもポジティブな効果があるとされており、瞑想や祈りなどによって得ることができるとされています。

オーバービュー効果について、「畏敬の念」や「自己超越」といったキーワードが出てきているのは、宇宙飛行士のインタビュー内容を整理すると「大気圏外から地球を客観的に眺める」ことについて、以下のような特徴がみられたためです。

  • 地球の遠景という「全体性」が知覚できる
    地球から物理的には切り離されているが、故郷や自分の暮らす世界全体、人類全体のことを思い浮かべることができ、感情的にはつながっている状態となる

  • 宇宙空間の黒い真空に対して地球を見る
    地球の美しさや人類の文明といった知覚的なテーマと、生命力やつながりといった概念的なテーマの両方が強調される

  • 見慣れたランドマークを異なる視点から見る
    よく知られた自然や人間の特徴を普段とは異なる視点から見ることで、超現実的な効果が生み出される

宇宙飛行士のウェルビーイングを考える意義

オーバービュー効果に伴う感情は一時的なものですが、地球やそこに暮らす人々との関係についての個人の考え方や態度に長期的な変化をもたらすと考えられます。そういった意識変容には、個人が新しい概念を理解したり、それに対してアプローチするための方法を見出させるといった効果があります。それは、次のようなインタビュー内容からも推察することができます。

「この世界を分断している宗教や政治の壁が目に入らず、『これが人間性だ、愛だ、感情だ、思考だ』と思える」

「人類の最も緊急な課題は、この惑星を大切にし、未来の世代のために保存することであると理解した」

遠くから地球を眺め、思索したりすることに独特の深みがあり、それが価値のひとつとなって宇宙での時間を有意義なものとしているのでしょう。実際に、スケジュールの都合で地球を眺める時間が組まれていなかった際に、不服を申し立てた宇宙飛行士もいたそうです。

現在、NASAにおいて宇宙飛行士に関する心理学的研究は、重要な研究テーマのひとつとなっています。
過去には、宇宙飛行士の精神的な問題によりミッションが短縮されたといった事例もあり、潜在的なリスクについては議論がされてきました。宇宙での滞在は社会的孤立を生み、狭い部屋で数多くのタスクを秒単位のスケジュールでこなすことは大きなストレスとなります。さらには無重力における生理的反応もあり、心理的に様々なネガティブな反応が引き起こされるのです。

そういったネガティブな反応への対処はもちろん必要ですが、「宇宙飛行士にカメラを持たせて撮影をさせる」といったことが心理学的な介入として効果があると知られているなど、ポジティブな側面についても着目されています。
そのため、オーバービュー効果に関する研究をより一層深めていくことも有意義であり、重要であると考えられます。
また、宇宙飛行士のポジティブな心理学的研究を行うことは、未来の人類の宇宙への適応を促す新たな知見を得ることにつながるかもしれません。

おわりに

地上で働く私たちも、宇宙飛行士ほど特殊でないにしろ、高いストレスにさらされる場面もあるでしょう。その際、ネガティブ感情に対処することも重要ですが、ウェルビーイングや感謝といったポジティブな感情にアプローチするのもよいかもしれません。

参考文献

Yaden, D. B., Iwry, J., Slack, K. J., Eichstaedt, J. C., Zhao, Y., Vaillant, G. E., & Newberg, A. B. (2016). The overview effect: awe and self-transcendent experience in space flight. Psychology of Consciousness: Theory, Research, and Practice, 3(1), 1.

本記事は、スマホアプリNEC Thanks Cardに掲載した内容を修正して転載したものです。