ダイバーシティとインクルージョン -組織においてダイバーシティとインクルージョンを実現するための研究知見
近年、職場における「ダイバーシティ(多様性)」や「インクルージョン(包括性)」という言葉を耳にする機会が増えています。これらは、ダイバーシティ&インクルージョンを略して「D&I」や、公正性(Equity)を含めた「DEI」と呼ばれ、企業を中心にさまざまな場面で推進されています。
ダイバーシティやインクルージョンの重要性は、新たなアイデアや価値を生み出すためのイノベーションの観点や、労働力不足における多様な人材の活躍などを背景に語られています。持続的な開発目標であるSGDsの17個のゴールにおいても、「5. ジェンダー平等を実現しよう」「10. 人や国の不平等をなくそう」「16. 平和と公正をすべての人に」など、ダイバーシティやインクルージョンに関連した課題も多く見られ、これらも注目度が高まる背景の一つになっていると思われます。
多様性のある組織やチームはメリットも期待できる一方で、メンバー同士の相互理解や協調は困難になり、デメリットがある場合も報告されています。組織のダイバーシティが求められる中で、私たちはどうすると良いのでしょうか?
ダイバーシティやインクルージョンに関しては、組織学や社会学、経営学、心理学など、多方面から知見が集められています。本記事では、これまで蓄積されてきた研究に基づき、ダイバーシティとインクルージョンの背景や経緯を整理しつつ、ダイバーシティとインクルージョンに関する知見をご紹介します。
ダイバーシティとインクルージョンの定義
ダイバーシティ(Diversity)とは、「集団内の人々に関する客観的または主観的な違いの度合い」を指します(Van Knippenberg & Schippers, 2007)。ダイバーシティの対象としては、性別や人種、年齢などの目に見える属性や、専門性や学歴、価値観、性格などの見た目には表れない特性が含まれます。
インクルージョン(Inclusion)は、組織文化や制度、リーダーシップなどを通じて、多様な人材が尊重・受容され、活躍できる環境や風土を意味します。
ダイバーシティ研究の背景
ダイバーシティに関する研究の歴史は古く、1950年代から1960年代にかけてアメリカで公民権運動が活発化した頃から議論され始めました。その後、グローバル化や女性の社会進出の流れの中で、法的規制や社会的要請に後押しされてさらに発展しました。
初期のダイバーシティの研究は、社会カテゴリー化や社会的アイデンティティの文脈から主に議論されてきました。これらの理論によれば、人々は自分の所属する集団であるイングループ(内集団)とその他のアウトグループ(外集団)を区別して捉え、イングループに対してアウトグループよりも好意的に接する傾向があります(Brewer, 1979; Tajfel & Turner, 1986)。このような知見から、メンバー間の類似性が高く、より均質なグループの方がグループ間の結束力が高まり、パフォーマンスが高まり、離職率も低下するということが主張されました(O’Reilly et al., 1989; Wagner et al., 1984; Murnighan & Conlon, 1991)。
一方で、情報の統合や意思決定の観点からは、職場グループの多様性がポジティブな効果をもたらすことが主張されてきました。多様なメンバーが属するグループでは、より幅広い知識やスキル、意見、視点をもつメンバーがいることが、慎重な検討を要する問題についてグループが早急に合意することを防ぎ、より創造的で革新的なパフォーマンスを発揮する基盤となる可能性があります(van Knippenberg et al. 2004)。
このように、職場グループにおけるメンバーの多様性について、肯定的な効果と否定的な効果の両方が提唱されていますが、どちらの証拠も一貫性を欠いており、組織におけるダイバーシティの効果を十分に説明した統一的な見解は示されていません。
また、社会的要請や法的規制から、歴史的に不利益を被ってきた集団(女性やアフリカ系人種など)の雇用待遇が改善されてきましたが、それだけでは組織にとって上手く機能しないことが指摘されています。性別や人種に関する雇用や待遇の改善は、人事の決定においては偏見を減らすかもしれませんが、日常的な差別の原因を変えることは出来ません(Green, & Kalev, 2008)。さらには、これらの改善活動によって恩恵を受けない人々から、反感や反発を招き、予期せぬ形で否定的なステレオタイプやグループ・個人間の対立を激化させる可能性もあります(Fiol et al., 2009)。
上記のように、ダイバーシティは肯定的な面と否定的な面の双方を併せ持ち、単純にダイバーシティを高めるだけでは上手く機能しない可能性が明らかになりました。このことから、組織におけるダイバーシティがより価値を発揮する作業プロセスや組織メカニズムに注目が集まり、「インクルージョン」の概念が発展してきました。
インクルージョン研究の発展
インクルージョンに関する研究は、社会心理学の分野では1990年代から研究されていましたが、組織論の分野では2000年代以降になって登場しました。ダイバーシティに関する議論では、組織において多様な属性をもつ人々が存在し、組織に帰属することが焦点となっていましたが、インクルージョンでは「すべてのメンバーが価値を感じ、貢献できる」ことに目が向けられました。
インクルージョン・フレームワーク
インクルージョンに関する理論として、Shore et al. (2011) のインクルージョン・フレームワークがよく知られています。インクルージョン・フレームワークは、Brewer (1991) の最適独自性理論という社会心理学の知見をベースに理論が整理されています。
最適独自性理論は、「他者からの承認や他者との類似性を求める人間の本能」と「他者とは異なる独自性や個性を求める本能」の緊張関係について説明する理論です(Brewer, 1991)。私たち人間は「帰属意識」と「独自性」の両方のニーズを持っており、これら2つのニーズのバランスを取れる最適なレベルの帰属を求める、と考えられます。
人々は、特定のグループに受け入れられ、他者とのつながりを感じることで、個性が際立ちすぎた場合に起こる孤立を防ぎます。一方で、グループのメンバーが似すぎていると感じると、個人はお互いに交換可能となるため、独自性によって差別化された自己感覚を維持することが出来ません。端的に言えば、グループで「自分だけが違う」と感じると排除や孤立のリスクを感じてしまい、グループ内で「自分は何一つ特徴がない」と感じると自分が自分である必要性を感じられなくなってしまいます。
Shore et al. (2011) は、この帰属意識と独自性の両方のニーズを満たす経験から、従業員が自分自身を尊敬に値する職場の一員であると認識する程度をインクルージョンとしました。また、帰属意識と独自性の2×2のインクルージョン・フレームワークを提示しました。
例えば、他のグループメンバーよりも年齢が高い従業員は、その企業や業界に関して深い知識を持っている可能性があります。その従業員が貴重な知識を持つメンバーとして尊重・受容されれば、その従業員はグループに強い帰属意識をもち、グループとしても高いパフォーマンスを発揮できる可能性が高まります。
インクルージョン実現の方法
多様性のある職場において、インクルージョンを実現して機能性を高める方法として、Ely & Thomas (2001) は「統合と学習」の視点が重要であることを見出しています。Ely & Thomas (2001) は3種類の視点を比較し、最も持続的なインクルージョンに繋がることが示されたのが、統合と学習でした。統合と学習とは、メンバーの多様な文化的背景から学び、それらを統合して業務の中核的なプロセスや戦略に反映させる視点を指します。メンバーのダイバーシティを学びと革新に繋がる資源として認識することで、お互いに学び合うことに関心に示し、インクルーシブな風土が確立されることが期待されます。
インクルージョンの実現には、リーダーシップの重要性も挙げられています。Nishii & Mayer (2009) では、インクルーシブな上司は、全般に部下との関係が良く、部下間で関係の良好さの差異が少ない(つまり、特定の部下と関係が良かったり悪かったりしない)ことが示されました。多様な部下のいる職場グループでは、部下間で関係の差異が少ないインクルーシブな上司がいる場合、離職率が低くなることが示されています。一方で、大半の部下とは関係が良好でも、一部の部下と関係が悪い上司がいるグループでは、最も離職率が高いことが報告されました。
Randel et al. (2018) は、インクルーシブなリーダーシップのための5つの行動を示しています。
このような知見から、インクルージョンを実現するためには、ダイバーシティから学びを得て統合する個人あるいは組織レベルの意識の醸成と、インクルーシブなリーダーシップの重要性が注目されています。
ダイバーシティとインクルージョンの効果
組織にとってダイバーシティとインクルージョンを推進することは、どのような効果を期待できるのでしょうか。ここでは、実証的に示されている主要な効果をご紹介します。
パフォーマンス
ダイバーシティの高い組織で、インクルージョンが機能するとパフォーマンスが高まることが期待できます。性別的に多様性のある58のチームに対して、メンバー間の調整と相互作用が求められるタスクを与えた研究では、チーム内のメンバーの経験がオープンに受け入れられる風土があることで、チームのパフォーマンスが高まることが報告されました(Homan et al., 2008)。
離職率
インクルージョンは、離職率の観点でも有益であることが報告されています。先述した通り、多様なメンバーがいる職場において、インクルーシブな上司いる場合、離職率が低くなることが示されています(Nishii & Mayer, 2009)。
創造性
ダイバーシティと創造性の関係性は、古くから議論されていますが、現在では特定の条件でのみポジティブな関係があることが報告されています。Shin et al. (2012) では、個人の創造性に関する自己効力感が高い場合には、チームの多様性と個人の創造性は正の相関を示すことが報告されています。
心理的安全性
インクルージョンが高い上司のもとでは、心理的安全性を感じやすいことが報告されています。Carmeli et al. (2010) では、150名の従業員を対象に上司のリーダーシップや心理的安全性を調査した結果、上司のインクルーシブなリーダーシップが心理的安全性に影響することを示しました。
従業員の満足度
ダイバーシティが高い場合、インクルーシブな風土は従業員の満足度にも寄与します。多様性のあるグループでは、インクルージョンの程度が高い場合には、人間関係の葛藤が少なく、従業員の満足度も高くなることが報告されています(Nishii, 2013)。
まとめ
本記事では、ダイバーシティとインクルージョンに関する学術的な知見から、これらの概念や効果をご紹介しました。組織において従業員のダイバーシティは肯定的にも否定的にも働く可能性がありますが、インクルーシブな風土やリーダーシップがあることで、従業員のパフォーマンスや満足度、離職率などに対して有益に機能すると言えそうです。
ダイバーシティに関する議論は、これまで主な対象とされてきた性別や人種を超えて、LGBTQ+などの性的志向や神経的な多様性であるニューロダイバーシティなども対象として発展しています。
今後も、それぞれの個性を尊重しながら、すべてのメンバーが安心して力を発揮できる環境づくりを進めることが、組織と従業員の双方にとって長期的な成功につながるでしょう。
(執筆:菅原)
参考文献
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