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ウェルビーイングな社会で次に必要になるもの|当社のポスト・ウェルビーイング調査について

前回までは、ウェルビーイングに関する基礎知識をご紹介してきました。今後も、適宜必要な知識をご紹介していくつもりですが、今回は私たち研究員の考えていることについて書いてみようと思います。

私たちは、2022年4月から8月にかけて、ウェルビーイングの次のテーマを探索するために「ポスト・ウェルビーイング調査」と称した調査を行っていました。調査結果は、スライド枚数400ページほどになるため、短縮版を下記のウェブサイトに掲載してあります。

本記事では、調査に至った経緯や、調査方法の概要、調査で得られたコンセプト、そのコンセプトが経営に必要な理由について、説明したいと思います。調査結果自体は、上記のウェブサイトをご覧ください。

調査経緯|ウェルビーイングの先の「何か」

2021年、ウェルビーイング研究をしている何名かの大学教授との別々の会話の中で、専門家はウェルビーイングの次の概念について考え始めていることを知りました。

例えば、ある教授はそれを「美しい心」と言い、別の教授は「無我」と言っていましたが、おそらく共通の「何か」の話をしているという直感がありました。研究において、別々の場面や全く異なる主題でよく似た話が出てくる場合、その共通部分には本質が隠されていることが多々あります。この場合も、ウェルビーイングを超えた本質的な「何か」があるという洞察がありました。

2022年は、「ウェルビーイング」という言葉が社会に浸透した年でした。実際、2023年の調査では「ウェル―イングを聞いたことがある」人は日本人30%ほど(当社調べ)でした。2021年の段階でも、肌感覚として、浸透の予兆は感じていたため、研究としてはウェルビーイングを超える次の「何か」を目指すことにしました。

では、この「何か」とは何でしょうか?

これを探るべく、この「何か」を「ポスト・ウェルビーイング」と呼ぶことにして、市場調査等を実施することにしました。

ただし、私たちは、組織エンゲージメントの研究以来、企業組織や企業経営を研究対象としてきたため、最終的には調査結果を経営課題に適用することにしていました。例えば、「○○経営」という名称を付けられると良いだろうと考えていました。

調査方法|盲点を探す市場調査

調査は、研究員4名で公開情報を収集・整理し、机上での個人分析とワークショップ形式での集合分析を行いました。ただし、通常の市場調査とは違い、この調査では現在は存在しないものを発見することが目的です。そのため、盲点を見つけることを常に意識して調査に当たる必要がありました。

調査分析としては、①通常の市場調査と同様のマクロ環境分析、②潜在的競合する見込みのあるテクノロジーの分析、③学術界の動向を見るためのアカデミックトレンド分析、④仮説構築のための学術論文調査、を行いました。一般的な市場調査とは異なり、研究のための調査では、学術的な調査も行う点が特徴的かもしれません。

図1.ポスト・ウェルビーイング調査の調査手順。筆者作成。

次に、調査結果ふまえて、⑤心理モデルによる仮説構築、⑥仮説から外挿した世界観の構築、⑦世界観の研究対象領域への適用、⑧世界観に基づく研究対象領域での仮説構築、という順序でコンセプトの構築を行いました。これらは、一般にフォアキャストとバックキャストと呼ばれる手続きと同等だと思います。


調査結果|たどり着いたコンセプト

ポスト・ウェルビーイング

調査の結果、現在のウェルビーイング・テクノロジー産業は、経済的なフィナンシャル・ウェルビーイングと個人的なパーソナル・ウェルビーイングに偏っており、学術界で言われているような集団の関係性のウェルビーイング(コレクティブ・ウェルビーイングと仮称)や全体の一部として感じられるウェルビーイング(ホール・ウェルビーイングと仮称)については、「感謝」要因以外には、ほとんど考慮されていませんでした。すなわち、コレクティブ・ウェルビーイングやホール・ウェルビーイングが、現在のウェルビーイング概念に対する盲点であったわけです。そこで、私たちは、これらをポスト・ウェルビーイングと呼ぶことにしました。


図2.ウェルビーイング階層図とポスト・ウェルビーイング。CollectiveとWholeの階層がポスト・ウェルビーイングに相当する。筆者作成。

学術調査の結果によって理論的に構築した心理モデルによれば、ホール・ウェルビーイングは人々に善良な意図を生み、それによって利他的精神(コレクティブ・ウェルビーイングの一つ)が高まった人々が利他的行動を行うことで、周囲の人々の人生満足度を向上します。また、利他的行動に対して恩を感じれば、恩返しによって、利他的行動をした人々の人生満足度も向上すると考えられます。人生満足度は、主観的ウェルビーイングの構成要素の1つです。

図3.学術調査で得られた理論的な心理モデル。筆者作成。

もし、ポスト・ウェルビーイングが社会に実現した場合、それはどんな社会になっているでしょうか?その社会では、善良な意図や利他の精神といったもので表される「何か」が人々の間で循環・伝搬していくことで、結果として社会全体のウェルビーイングが向上した状態になっているのではないでしょうか。

では、その人々の間で循環する「何か」とは何でしょうか?

善心(goodness)

何度もウェブを検索した結果、仏教用語の中に「善心」という言葉を見つけました。「善心」とは、「人の道にかなった良い心、良心に恥じない心」という意味です。私たちは、『この「何か」は「善心」という言葉で表せるのではないか』と思い至りました。ちなみに、よく似た言葉の「良心」は「自分の価値観に照らして、善悪を測る心」という意味を持ち、善でも悪でもありません。

例えば、利他の精神には自己犠牲的利他や恩着せがましい利他などの悪い利他性があり、必ずしも利他性が善いとは限りません。そのため、善心を磨いた上で、利他の精神を持たなければ、肯定的な効果は得られないと考えられます。あるいは、感謝にも儀礼的感謝やお返しを要求する感謝などの嬉しくない感謝があり、感謝ならば何でもよいわけではありません。感謝の場合も、善心を磨いた上で、心からの感謝をすることで、肯定的な効果が得られるのではないでしょうか。これらは、簡単に言うと、善心の伴わない利他的行動や感謝は、他者からは嘘くさいと感じられてしまうということです。

嘘くさい利他的行動や感謝は、当然ながらウェルビーイングを高めるような効果もないと考えられます。むしろ、利他的行動や感謝を受けた人は相手に対して不信感を持つことでしょう。これを踏まえると、利他性や感謝といったコレクティブ・ウェルビーイングを活用して、社会のウェルビーイングを底上げしていくには、人々の行動が善心に基づいていることが必要になると言えるのではないでしょうか。

私たちは、善心が人々の心を巡り、社会に波及していく様子を「善心の循環と連鎖」として図示しました。

図4.善心の循環と連鎖。筆者作成。

なお、前提となる心理モデルによれば、ホール・ウェルビーイング(畏敬の念や自己超越)が「善良な意図」を導出し、「善良な意図」がコレクティブ・ウェルビーイング(利他の精神や感謝)を高めることから、畏敬の念や自己超越が「善心」を向上させるのではないかと考えています。


善心の経営|なぜ必要なのか

善心が好循環する社会では、企業も善心に基づく行動を要求されるため、善心に基づく経営「善心の経営」あるいは「グッドネス経営」が必要になってくる、と私たちは考えています。ここでは、「善心の経営」が必要な理由を、機会と脅威の面から考えてみます。

機会を生かす

実は、現在でも、善心への要求の兆しが、消費者行動・投資家行動・経営者行動の中で観察されています。

「ブランドパーパス調査」(博報堂、2021)によると、ブランドの理念や思想を購入基準にする割合は20代が最も高かったそうです。調査によると、20代の消費者は、その理念や思想を「善い」と考えて、少し割高でも購入しています。つまり、今後は「善心(善い理念、善い思想)」が付加価値になっていくと考えられます。

また、近年、投資家の投資スタイルにESG投資が注目を浴びていくことはご存じかもしれません。これは、環境に配慮していたり、社会に貢献していいたり、組織の統制がきちんとしている企業に投資していく投資スタイルのことです。しかし、環境配慮も、社会貢献も、組織統制も、善心を伴わず、形だけの儀礼的な行動でも行うことができます。しかも、儀礼的行動を行う企業は、表向きは良い状態でも、内部は崩壊しているかもしれません。そのため、今後、投資家には、このような企業への投資を避けるために、企業経営の「善心」に注目する必要が出てくるのではないでしょうか。

経営者にとって「善心」が重要であることは、故稲盛和夫が著書に残しています。

高められた善き心というものが、善き人生をもたらす要因となる…善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。…因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果を焦らず、日ごろから倦まず弛まず、地道に善行を積み重ねるよう努めることが大切なのです」

稲盛和夫著「生き方」(2004)

つまり、稲盛和夫は「経営者は善心を磨き、善行を積み重ねなければならない」と考えていたと思われます。

故稲盛和夫が昔から言及していたことを踏まえると、日本型経営では、「善心」は古くから求められていたものかもしれません。しかし、これまでは、世界の消費者行動や投資家行動には、「善心」はあまり求められていませんでした。現在、「善心」はいよいよ時代と世界の潮流と整合し始めているのかもしれません。

脅威を避ける

一方、2023年の企業の不祥事を見ていると、企業から善心が無くなっていくパターンが観察されます。

1つは、利益至上主義パターンです。本来、利益には善い利益と悪い利益があります。善い利益とは、お客様から感謝の証としていただく利益です。反対に、悪い利益とは、お客様を騙したり、脅したりして得られる利益のことです。多くの一般企業では、利益よりも善し悪しを優先し、善い利益でもって成長しようとします。しかし、利益至上主義に陥ると、善し悪しよりも利益を優先してしまい、利益のためなら手段を選ばないことが常態化していきます。

例えば、少数の優秀な社員を基準として営業ノルマを課すと、普通の社員にとっては非現実的なノルマかもしれません。そこへ、激痛を伴う強力な罰則を追加すれば、普通の社員はズルをしてでもノルマを達成しようとするでしょう。最初は、軽微なズルかもしれませんが、ズルをしない方が損をするため、ズルが徐々に蔓延し、悪の組織文化が醸成されてしまいます。そのズルが法令違反だった場合、目も当てられません。このとき、経営者には悪心は無かったかもしれません。しかし、利益至上主義で経営をすると、社員から善心が失われていってしまう可能性が考えられます。

2つ目は、大きな権威勾配パターンです。権威勾配とは権威の落差の大きさのことで、権威勾配が大きいほど、権威が下の人は、権威が上の人に何も言えなくなってしまいます。仮に、上位者が権力を使って、下位者に意見を言わせないようにすると、権威勾配はさらに大きくなっていきます。こうして、社内や業界内で権威が確立すると、その権威を持った人には誰も逆らえなくなります

たとえ、権威勾配が大きかったとしても、上位者が善心に基づいて意思決定や行動をしていれば、問題はないのかもしれません。しかし、上位者自身が犯罪を犯していたり、反社会的な行動をしていた場合は、大問題になります。なぜなら、その上位者を誰も諫めることができないからです。むしろ、社内や業界内の公然の秘密として隠蔽されることでしょう。この場合、下位者にはもともと善心があったのかもしれませんが、徐々に失われていくことになります。

このように善心を失った企業は、社内や業界内では当たり前だった悪行が明るみに出たとき、顧客が離れていき、売却しようにも買い手がつかず、廃業に追い込まれていきます。

したがって、少なくとも企業を存続させようと考えるならば、経営者は、経営者自身や従業員の善心が失われないようにしなければなりません


まとめ

本記事では、私たちが行った「ポスト・ウェルビーイング調査」について、調査目的、調査方法、調査結果、結果の経営問題への適用について書きました。

調査からは、現在のウェルビーイング概念の盲点となっているポスト・ウェルビーイングとして、コレクティブ・ウェルビーイングとホール・ウェルビーイングと名付けた概念がありそうでした。また、ポスト・ウェルビーイングが実現した世界では、善心(goodness)というコンセプトが必要でした。そして、善心を企業経営の問題に適用すると、機会を生かす意味でも、脅威を避ける意味でも、今後重要になると考えられました。このような経営スタイルを、私たちは「善心の経営」あるいは「グッドネス経営」と呼ぼうと思っています。

本記事は、「ポスト・ウェルビーイング調査」自体は詳しく説明していませんので、詳細は下記のページをご覧ください。

また、「善心の経営」については、そのコンセプトを下記のページにまとめてありますので、ご興味があればご覧ください。

(筆者:山本)

参考資料

  1. NECソリューションイノベータ「ポスト・ウェルビーイング調査」(2023.02.23)

  2. 博報堂「ブランドパーパスに関する生活調査」(2021.01.25)

  3. 稲盛和夫「生き方: 人間として一番大切なこと」,サンマーク出版(2004)

  4. NECソリューションイノベータ「ウェルビーイング経営デザイン」の研究テーマ