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【基礎知識】ウェルビーイングと収入の関係|カーネマンの研究結果の反証と解釈

直感的には、貧乏よりも裕福な方が幸せだと考えられるため、収入が多ければ多いほどウェルビーイングは高いと考えられます。もちろん、生活が困窮する収入よりは、生活に困らない程度の収入があった方が幸せなのは間違いないでしょう。

これに対し、Kahneman & Deaton (2010) は、ある一定上の収入を超えると幸せを感じにくくなっていくという有名な調査結果を示しました。この結果は、ウェルビーイングと収入の関係についての定説となっていきました。

しかしながら、近年では少し異なる調査結果も報告されてきています。

そこで、今回はウェルビーイングと収入の関係について、主要な論文から最新の論文までをまとめてみたいと思います。


過去の研究結果

自分の所得が参照集団の所得より多いほど幸せ

Ferrer-i-Carbonell (2005) は、参照集団の所得が個人の幸福に重要であるという仮説を検証しました。

背景

当時は、所得の高い国ほどウェルビーイングの平均レベルが高い(Diener, et al., 1995)にもかかわらず、同じ国の富裕層は貧しい同国民よりわずかに幸福度が高いだけで、経済成長は個人の幸福度にはつながっていない(Ferrer-i-Carbonell, 2005)と言われていました。

この一見矛盾した結果を説明する方法の1つとして、「比較所得」(個人の所得認識は、他の人々の所得と比較した自分の所得に左右されること)が用いられています。ただし、比較する他人は個人ではなく、参照集団(同年代とか同学歴など)を構成します。

Ferrer-i-Carbonell (2005) は、比較所得とウェルビーイングの関係を実証分析しました。

分析方法

分析は、ドイツ社会経済パネル(GOSEP)の1992年〜1997年のデータ(約16,000名、東ドイツ人28%、労働者約60%、男性48%)の主観的ウェルビーイング(SWB)の質問(「あなたは、現在、自分の人生全体にどの程度満足していますか?」、0=非常に不満〜10=とても幸せ)を目的変数に用いて行われました。参照集団は、東西ドイツと教育年数(10年未満、10年、11年、12年、12年以上)と年齢(25歳未満、25〜34歳、35〜44歳、45〜65歳、66歳以上)で区分された50種類が用いられました。このデータに対して、4つの分析をしています。

  1. 説明変数に、自分の世帯所得のみを用いる(正の関係が期待される)

  2. 説明変数に、参照集団の所得を加える(負の関係が期待される)

  3. 説明変数に、所得差「世帯所得ー参照集団所得」を加える(正の関係が期待される)

  4. 説明変数に、自分の世帯所得と富裕層/貧困層に対する所得差を用いる(非対称性が期待される)

    • 富裕層:世帯所得>参照集団所得の時、所得差=世帯所得ー参照集団所得

    • 貧困層:世帯所得<参照集団所得の時、所得差=参照集団所得ー世帯所得

ここで、所得は対数に変換して計算されました。また、非対称性とは「より貧しい個人はより豊かな同輩の所得から負の影響を受けるが、より豊かな個人は自分の所得が同輩より上だと知っても幸福にはならない」という仮説のことです。

なお、制御変数には年齢・教育年数・子供の数・同居・労働者などが用いられました。

分析結果

分析1では、ドイツ人全体・西ドイツ人・東ドイツ人について、世帯所得とSWBに有意な正の相関が示されました。特に、平均所得の低い東ドイツ人の係数が大きく、これは所得は貧困層にとって相対的に重要だということを示します。しかし、代表的な個人を分析すると、SWBを1ポイント向上するのに、所得は50倍必要となっていて、幸福度の向上に所得はあまり効果がないという結果でした。

図1a.分析1の結果、Ferrer-i-Carbonell (2005) の結果より、筆者作成

分析2では、参照集団の所得は期待通り負の係数になりましたが、世帯所得の係数の大きさとSWBの期待値は、分析1とほとんど同じでした。世帯所得と参照集団所得の係数を比較すると、西ドイツ人は参照集団所得の係数の方が大きく、ドイツ人全体と東ドイツ人では逆でした。これは、裕福なほど参照集団所得による負の影響が大きくなることを示唆しています。

図1b.分析2の結果、Ferrer-i-Carbonell (2005) の結果より、筆者作成

分析3では、全ドイツ人を対象とした計算のみ、所得差と陣営満足度に有意な正の関係がありました。西ドイツ人と東ドイツ人に分けた場合は、有意にになりませんでした。この有意な正の関係は、参照集団所得よりも世帯所得が大きいほど幸福度が高いことを示します。一方、この分析では世帯所得の係数が非有意となりました。つまり、所得よりも所得差の方が幸福度に有効だと考えられます。

図1c.分析3の結果、Ferrer-i-Carbonell (2005) の結果より、筆者作成

分析4では、全ドイツ人と西ドイツ人の集団に対する貧困層の係数のみが有意となりました。世帯所得、富裕層の係数、東ドイツ人の貧困層の係数は、有意になりませんでした。また、全ドイツ人と西ドイツ人では富裕層よりも貧困層の係数が大きく、これは非対称性を示します。一方、東ドイツ人では、係数の大きさがほぼ等しく、対称性を示しました。

図1d.分析4の結果、Ferrer-i-Carbonell (2005) の結果より、筆者作成

結論

自分の所得が参照集団の所得より大きいほど、個人はウェルビーイングだと言えます。ただし、非対称性から、貧しい人のウェルビーイングは自分の所得が参照集団の所得より低いという事実で負の影響を受けますが、裕福な人平均以上の所得があってもウェルビーイングにはならないことが示唆されました。


感情的ウェルビーイングは年収75,000ドル以上だと向上しない

Kahneman & Deaton (2010) は、主観的ウェルビーイングを人生評価(人生満足度)とポジティブ感情・ネガティブ感情に分けて、年収との関係を分析しました。

背景

主観的ウェルビーイングと収入の研究では、伝統的に主観的ウェルビーイングとして人生評価を重視してきました。ところが、年収との関係では、人生評価と感情的ウェルビーイングは異なる相関関係が示唆されていました。

分析方法

分析は、Gallup社のGallup-Healthways Well-Being Index (GHWBI) の2008年と2009年の米国民のデータ(450,417人分)を用いて行われました。ただし、外れ値の除去するために、属性データとの回帰分析をもとに、14,510人分のデータを除外しました。

GHWBIでは、人生評価としてキャントリル・ラダー(「人生全体に対して、どの程度満足していますか?」、0=最悪の人生〜10=最高の人生で回答)を用いています。また、感情的ウェルビーイングは、昨日の様々な感情(楽しみ、幸福感、笑顔、怒り、悲しみ、ストレス、心配など)の有無で調査され、ポジティブ感情(楽しみ、幸福感、笑顔など)とネガティブ感情(悲しみ、心配)の平均、及びストレスを用いています。

ドル建ての年収はウェルビーイングに対して凹関数(非線形関数)になるため、年収の対数が用いられました。

分析結果

図2によると、感情的ウェルビーイング(ポジティブ感情、非ネガティブ感情)は、年収上位2つのグループで差がなく、第3グループのどこか(年収75,000ドル付近)で飽和しています。非ストレスは、年収60,000ドル付近にピークがあるようです。一方、人生評価は年収が上がるにつれて安定的に上昇していきます。逆に、年収75,000ドルを下回ると、少なくとも平均的には全ての要因が悪化しています。

図2.年収と主観的ウェルビーイングの関係、Kahneman & Deaton (2010) をもとに筆者作成。

この結果は、収入が多ければ多いほど幸福を得られるとは限らないが、収入が少なければ少ないほど感情的苦痛を感じる、ということを示しています。これは、収入が高いほど、収入の上昇という刺激に対して順応してしまい、感度が鈍くなっていくこと、あるいは気質や生活環境によって制約されていることを示しています。

また、この結果で重要なのは、感情的ウェルビーイングと人生評価は質的な違いがあるということです。

結論

人生評価(人生満足度)は、収入に比例して安定的に上昇していきます。しかし、感情的ウェルビーイングは、年収75,000ドルを超えると感じにくくなります


絶対所得が多いほど幸福度が高い

Sacksら(2012)は、国際比較を行うことで、主観的ウェルビーイングが所得と比例していることを示しました。

背景

Easterlin (1974, 2010) は、一人当たり国内総生産(GDP)と幸福度、及び所得と幸福度との間に有意でない関係を発見し、幸福度に重要なのは「相対所得」であると結論づけました。これは、「絶対取得だけが重要ならば、皆が豊かになれば皆が幸福になる」はずで、反対に「相対所得だけが重要ならば、皆が豊かになっても平均に比べて相対的に豊かになる人がいないので、誰の幸福も上がらない」という論理に基づきます。すなわち、所得(やその総計としてのGDP)と幸福度が比例していないので、相対所得が重要である、と考えたわけです。

この結果から、Ferrer-i-Carbonell (2005)のように、相対所得と幸福度の関係の研究が盛んに行われてきました。

分析方法

Sacksらは、主にGallup World Poll(GWP)の2010年のデータ(122カ国)を用いて、以下の3つの分析を行いました。(分析3は、欧州がEurobalometer、日本と米国は各国のデータを使用)

  1. 人生満足度と一人当たり対数実質GDPの国際相関関係

  2. 人口上位25カ国の世帯収入別の人生満足度の傾き

  3. 日米欧の幸福度の経年平均からの相対値と一人当たりGDPの相関関係

なお、GWPでは、人生満足度をラダー形式で次のように質問しています。

下の段が0から上の段が10まである梯子を想像してください。
梯子の一番上があなたにとって可能な限り最高の人生、一番下があなたにとって可能な限り最悪の人生を表しているとします。
あなたは、今、梯子のどの段にいると思いますか?

Sacks, et al., 2012

分析結果

分析1では、人生満足度と一人当たり対数GDPの間に、驚くほど直線的な関係がみられ、相関係数は0.74でした。非線形関数に回帰させると、国が豊かなほど急勾配になる曲線になり、GDPが多い国ほど幸福であることを示していました。

図3.人生満足度と一人当たり対数GDPの関係、Gallup World Pollのデータを使用しているWorld Happiness Report 2024の公開データから、2010年のデータを使用して筆者が作成したもの

分析2では、①25カ国全てで世帯収入と人生満足度は比例関係にある、②25カ国全てで同じような傾きの直線になる、③人生満足度は飽和(収入が上がっても幸福度が上がらない現象)は見られない、という結果が得られました。すなわち、文化の違いによらず、世帯収入が多いほど人生満足度は高くなるという結果でした。

分析3では、日本、デンマーク、ギリシャ、フランス、アイルランド、イタリア、オランダ、イギリス、西ドイツで、経済発展とともに満足度が向上したという結果になりました。一方、ベルギーとアメリカでは、経済発展しても満足度が上がりませんでした。そのため、この分析では経済発展と人生満足度に関係があるとは言えませんが、Sacksらの他の傍証からは、経済発展と人生満足度に比例関係があるそうです。

結論

この分析によって、①貧しい国より豊かな国の方が幸福度が高い、②貧しい人より裕福な人の方が幸福度が高い、③経済発展と幸福度は比例する、④所得と幸福の飽和点は見つかっていない、ということが分かりました。①〜③から、絶対所得が幸福にとって重要であると言えます。

筆者注
・この分析結果では、「絶対所得は重要である」とは言えますが、「相対所得は重要ではない」とは言えません。
・Ferrer-i-Carbonell (2005) でも、世帯所得のみならSWBに比例しており、この結果と矛盾していません。参照集団所得がSWBに反比例する効果は、この分析には含まれていません。
・Kahneman & Deaton (2010) は、感情的ウェルビーイングに飽和現象を確認していますが、人生満足度に飽和現象は見られません。したがって、この分析結果と矛盾しません。


最近の研究結果

収入よりも消費の方が主観的ウェルビーイングに影響する

Brown & Gathergood (2020) は、収入と消費を説明変数とすることで、主観的ウェルビーイングには消費の影響の方が大きいことを示しました。

背景

所得と消費は相関がありますが、納税額の違いや貯蓄のために、所得が増えても消費が増えるとは限りません。ところが、主観的ウェルビーイングの研究では、所得ばかりが取り上げられ、消費については研究されてきませんでした。これは、大規模パネルデータに消費がほとんど含まれていないためです(Brown, Gathergood, 2020)。

一方、消費のウェルビーイングへの影響の必要性は、消費者心理学・社会心理学・経済学の分野で確認されています。消費者心理学では経験的消費と物質的消費を区別するため、社会心理学では向社会行動への影響として、経済学では顕示的消費と非顕示的消費の区別ために、ウェルビーイングが用いられています(Brown, Gathergood, 2020)。

分析方法

Brownらは、生活満足度と詳細な消費データの両方を持つPanel Study of Income Dynamics (PSID) の2009年、2011年、2013年の約8,000世帯のパネルデータから、外れ値を除いた5,664人(平均年齢46歳、男性74%)、16,992件のデータを用いて、人生満足度を目的変数とした3つの固定効果分析を行いました。

  1. 消費所得を説明変数にした場合

  2. カテゴリー別消費を説明変数にした場合

  3. 顕示的消費非顕示的消費と所得を説明変数にした場合

ただし、各消費と所得は金額なので対数で変数化しています。

また、PSIDの人生満足度は次のような質問でした。

あなたの人生全体について考えて下さい。あなたはどのくらい満足していますか?
 5=完全に満足している
 4=非常に満足している
 3=やや満足している
 2=あまり満足していない
 1=全く満足していない

Brown & Gathergood (2020)

分析結果

分析1では、消費の人生満足度への効果は、所得の5倍ほどになりました(図3)。ただし、この分析では、所得の係数は有意ではなく、所得の人生満足度への効果は示唆されませんでした。この結果は、所得の変化ではなく、消費の変化が人生満足度を予測することを示しています。

図4.対数消費と対数所得の人生満足度への固定効果係数。制御変数として、年齢(1乗、2乗、3乗)、結婚(既婚/パートナー、死別、離婚、別居)、扶養子供数、学歴(高卒、大卒)、雇用(有職、無職、派遣非稼働)、住宅(持ち家、借家)、健康状態、精神不安、を統制している。州固定効果、年固定効果が有効な場合の結果を使用。オレンジ=有意、緑=非有意。Brown & Gathergood (2020) の結果をもとに、筆者が作成。

分析2では、消費のカテゴリーによって人生満足度への影響の大きさが異なることが確認されました。この分析と先行研究を基に、Brownら(2020)は、食費・服飾費・旅行余暇費・家具費・教育費・その他レジャー費を顕示的消費に分類しています。

図5.消費カテゴリー別の人生満足度への固定効果分析の係数。制御変数は前図と同様。オレンジ=有意、緑=非有意。Brown & Gathergood (2020) の結果をもとに、筆者が作成。

分析3では、顕示的消費の人生満足度への影響が、非顕示的消費の2倍大きいことが示唆されました。この結果は、顕示的消費と主観的ウェルビーイングに相関があるという経済学の先行研究(Hudders & Pandelaere, 2012)の結果を支持しています。

図6.顕示的消費と非顕示的消費の人生満足度への固定効果分析の係数。制御変数は前図と同様。オレンジ=有意、緑=非有意。Brown & Gathergood (2020) の結果をもとに、筆者が作成。

筆者注
他者が視覚的に確認できる顕示的消費は、地位的欲求(社会的地位が高いことを確認したい欲求)と関連していると考えられています。一方で、人生満足度は、「自分は人生において何を獲得してきたか」を表しているとも言われます。例えば、「高級車を購入すると、高級車を買えるほどの社会的地位を獲得した自分に満足し、人生満足度が向上する」などが考えられます。そのため、顕示的消費と人生満足度が関連している可能性があります。

結論

人生満足度には、所得よりも消費の方が5倍影響すること、特に顕示的消費の影響が大きいことが示唆されました。


感情的ウェルビーイングは所得が高いほど高くなる

Killingsworth (2021) は、感情的ウェルビーイング(経験的ウェルビーイング)のリアルタイムデータを測定することで、感情的ウェルビーイングが年収に対して飽和しない(年収75,000ドルを超えても向上し続ける)ことを示しました。

背景

感情的ウェルビーイングの測定は、リアルタイムで測定することが難しかったため、「過去のある期間にどのように感じたかを覚えているか」を尋ねる方法が取られてきました。例えば、Kahneman & Deaton (2010) では、前日の感情を尋ねていました。しかし、この方法では、回答者の記憶に強く依存してしまい、記憶間違いや判断のバイアスにより、正確に測定できていない可能性がありました。

分析方法

Killingsworthは、Track Your Happinessが行った大規模プロジェクトのデータを用いた経験サンプリング法で分析しました。実験参加者は米国在住の有職者(18歳〜65歳)33,391人で、参加者のスマートフォンには起床中のランダムなタイミングで通知が届き、直前の感情的ウェルビーイングに対する質問への入力が促されます。使用された質問は次のとおりです。

感情的/経験的ウェルビーイング(リアルタイム測定)
 質問:「たった今、あなたは、どう感じていますか?」
 回答:「非常に悪い」〜「非常に良い」の連続尺度
人生満足度/評価的ウェルビーイング
 質問:「全体的に、あなたは自分の人生にどのくらい満足していますか?」
 回答:「全く良くない」〜「非常に良い」の連続尺度
世帯年収
 質問:「税引き前の世帯年収はいくらですか?」
 回答:定義済みの収入帯から選択

Killingsworth (2021)

実験では、感情的ウェルビーイングの報告は1,725,994件でした。

分析結果

分析の結果、感情的ウェルビーイングに所得に対する飽和現象は見られず、所得が多いほど感情的ウェルビーイングが高いことが示唆されました(図7)。年収80,000ドル以上とそれ未満に分けて対数所得との回帰分析を行ったところ、回帰係数(傾き)はほぼ同じ、すなわち飽和していないことが確認されました。

図7.世帯年収(対数)に対する経験的(感情的)ウェルビーイングと人生満足度。経験的ウェルビーイングは、人生満足度にも回答した参加者のデータのみを使用している。Killingsworth (2021) の補足データを使用して、筆者が作成。

また、予備的にリアルタイムで採取していたポジティブ感情(良い、刺激、誇り、興味、自信)とネガティブ感情(悪い、退屈、苛立ち、恐怖、怒り、悲しみ、ストレス)を世帯収入別にプロットすると、所得が高いほどポジティブ感情が大きくなり、ネガティブ感情が小さくなるという結果になりました。

結論

所得の多さが経験的ウェルビーイングとより強固に関連していることが分かりました。今回のデータでは、75,000ドルを閾値とした飽和現象は確認できず、飽和現象があるとしても閾値がもっと高いことが示唆されています。

筆者補足
Killingsworth (2021) が提供している補足データには、SWLS(Satisfaction with Life Scale)と4件法の人生満足度、および全参加者の経験的ウェルビーイングの結果が含まれています(図8)。
図8によると、全参加者を対象とした経験的ウェルビーイングは、40万ドル付近で飽和しているように見えます。一方、2つの人生満足度は、世帯収入に対して、右肩上がりに上昇し続けています。

図8.世帯年収(対数)に対する経験的(感情的)ウェルビーイングと人生満足度。Killingsworth (2021) の補足データを使用して、筆者が作成。

所得に対して、不幸な人の幸福は飽和するが、幸せの人の幸福は加速する

Killingsworth & Kahnemanら(2023)では、2つの矛盾する研究結果(Kahneman & Deaton, 2010; Killingsworth, 2021)が得られた理由について考察しました。

背景

Kahneman & Deaton (2010) は感情的ウェルビーイングが年収75,000ドル以上で平坦化するといい、Killingsworth (2021) は経験的ウェルビーイングは平坦化しないという研究結果を報告していました。この一見矛盾した結果を合理的に説明する必要がありました。

まず、KillingsworthとKahnemanは以下の点について合意しました。

  • どちらも感情的ウェルビーイングを測定しようとしてる

  • 経験サンプリング法(Killingsworth)を使った測定は、二値(yes/no)の平均(Kahneman)より標準的で優れており感度が高い

  • 従って、Killingsworthの結果は正しい

  • しかし、Kahnemanの結果は統計的に頑健である

そこで、Killingsworth (2021)のデータで、Kahneman & Deaton (2010) の結果を再現することを試みました。

分析方法

Killingsworth (2021) のデータにおいて、所得範囲ごとに経験的ウェルビーイングの15%、30%、50%、70%、85%のパーセンタイル(分位)にサンプルを分割し、パーセンタイルごとの変化を観察しました。

よく参照される75,000ドルは選択肢60,000~90,000ドルの中央値に過ぎず、実際には90,000ドルが上限値であること、Kehnemanらのデータが2008年から2009年に取得され、Killingsworthのデータが2009年から2015年に採取されたためインフレ率を加味する必要があること、などから閾値を100,000ドルに設定し、その上下の回帰直線の傾きで、平坦化(飽和現象)が発生しているのかを分析しました。

また、何が間違っていたのかについて、検討しました。

分析結果

平坦化(飽和現象)は、経験的ウェルビーイングの15%分位で確認されました(図9)。30%分位と50%分位では、Killingsworth (2021) の結果と同じく、経験的ウェルビーイングと対数所得は線形関係になりました。一方で、70%分位と85%分位では、年収100,000ドル以上で傾きが大きくなりました。

図9.パーセンタイル別の世帯収入と経験的ウェルビーイングの関係。点の大きさは、サンプル数を表す。Killingworth (2023) の補足データを使用して、筆者が作成した。

つまり、不幸な人は所得の増加によって不幸が減少し幸福が増加し(中間点の50を超え)ますが、100,000ドルを超えると幸福が増えなくなっていくことを表しています。反対に、幸せな人は所得の増加によって幸福が増加しますが、100,000ドルを超えると更に勢いよく幸福が増加することが分かりました。

結局、Kahneman & Deaton (2010) は、母集団全体には適用できず、不幸な人に限定された結果だったと考えられます。また、Killingsworth (2021) は、不幸な人と幸せな人では質的に異なる傾向があるにも関わらず、それを一緒にして分析してしまったことが誤りだったと考えられます。どちらも、母集団の均質性という暗黙の前提があったことが、分析結果の相違を生み出してしまいました。

Kahneman & Deaton (2010)の結果(図2)では、高所得者の89%がポジティブ感情を昨日感じたと回答しており、これは尺度の天井効果が疑われます。つまり、ほとんどの人が「感じた」回答してしまうため、ポジティブ感情の程度を識別できていない可能性です。逆に、低所得者では70%~89%と幅があるため、これは非ポジティブ感情を識別していると考えられます。言い換えると、図1は、不幸な人の傾向を表している可能性があります(Killingsworth & Kahneman, et al., 2023)。そうだとすると、Kehneman & Deaton (2010)とKillingsworth (2021)の結果には、矛盾がありません。

結論

対数所得に対する感情的ウェルビーイングの飽和現象は、不幸と感じている人に現れます幸せな人の感情的ウェルビーイングは、年収100,000ドルを超えると加速して向上します


まとめ

今回は、収入とウェルビーイングの関係について、定番の論文と比較的最近の論文のいくつかを簡単にまとめてみました。Kahneman & Deaton (2010)の有名な結果に反証が出ていたのを知ったことが最大の学びになりました。また、彼らの主張であった75,000ドル以上で線形比例しないのは感情的ウェルビーイングであって、人生満足度はどの研究でも対数所得に比例していることが確認できました。しかも、飽和現象は不幸だと感じている人々に起きているというのが、意外性があって面白いですね。

最後のKillingsworthら(2023)にもありましたが、分析手法を選ぶ際には細心の注意(というより前提を疑うこと)が必要でした。少なくとも、国内比較でミクロなウェルビーイングを分析したのか、国際比較でマクロなウェルビーイングを分析したのかを分けて考える必要はあるでしょう。そうでないと、ミクロな結果をマクロで成立すると思ってしまったり、反対にマクロな結果をミクロな問題に適応してしまったりしてしまいそうです。

収入・所得・GDPとウェルビーイングの研究は、非常に多く、特に経済学分野でよく研究されているようです。「最大多数の最大幸福」が目的の経済学は、「経済的に豊かになっても人々の幸福にはつながらない」となると、経済政策を根本的に見直すことになりかねないため、経済学分野で注目が高いのかもしれませんね。

筆者:山本

弊社の研究について
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参考文献

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