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自然環境とウェルビーイングの関係 ~人はどんな環境で幸せを感じるか?環境保全のコストをどう捉えるか?~

はじめに

私たち人間は、地球上の様々な天然資源や、動植物といった他の生命などを利用することで活動しており、自然環境に大きく依存して生活しています。そのため自然環境は、私たちの生命の維持や身体的健康にとって非常に重要な要素であると理解することができます。

一方、健康などよりも広義な「ウェルビーイング」と自然環境にはどのような関係があるでしょう。美しい自然の景色を見ると晴れやかな気持ちになることがあるように、自然環境とウェルビーイングにはおそらく関係があります。しかし、そのように直感的に感じることはあっても、なかなか説明しづらいかと思います。

また、自然環境の保全にかかるコストとウェルビーイングについて、経済あるいは福祉の観点でどのように評価するのかといったことも、あまり知られていないかと思います。

そこで今回の記事では、以前もご紹介した「Wellbeing Science and Policy」という書籍から、「環境とウェルビーイング」に関する内容をピックアップします。

【今回のポイント】

  • 自然環境は身体的健康にポジティブな影響をもたらす

  • ウェルビーイングのアプローチでは、将来の自然環境のための施策を高く評価する

自然環境とウェルビーイング

幸せのシチュエーション ~今どこで何してる?~

まず、「個人がおかれている状況に対する感情的な幸福度の評価」に関する調査結果から、人はどのようなシチュエーションで幸福感を感じるのかをご紹介します。

調査はイギリスにおいてMappinessというスマホアプリを用いて行われました。Mappinessというアプリは、1日に3回ビープ音が鳴り、その度に「自分がどれだけ幸せに感じているか」を0~10で評価し、記録するというものです。記録には、「誰と何をしているのか」、「気候」、「GPSによる位置情報」もデータとして付与します。気候については、気温(暑さ)、晴れ、雨を感じるかどうかを0か1で入力します。その場で感じる幸福について回答するものであるため、ヘドニックなウェルビーイングについて評価していると捉えてください。
以下のグラフが調査結果です。

図. 個人がおかれている状況に対する感情的な幸福度の評価
※縦軸は、幸福度の平均との差を示します

まず「活動」について、スポーツが最も幸福度が高く、仕事が最も幸福度が低いという結果になりました。
これらの結果は、どのような活動をするかといったことが、人のウェルビーイングに影響を及ぼしていることを示しています。グラフ上にデータは掲載されていませんが、一週間のうち週末が最も幸福度が高くなっており、多くの人が平日に働いていることが影響していそうです。

次に「気候」について、「暑い」「晴れている」「雨が降っていない」の条件で幸福度が高いということが示されています。
この調査は雨の多いイギリスで行われたものですが、アメリカにおける調査でも、同様の結果を示すそうです。気温と幸福度の関係については具体的な研究もおこなわれており、健康にとって最も適している気温は18℃であるといわれており、それ以上でも以下でも幸福度は低下します。
グラフには掲載されていませんが、測定時期と幸福感の関係を見てみると、春の幸福感が最も高く、冬の幸福感が最も低くなる傾向にあります。
(この調査は2012年に行われたものであるため、昨今の夏の高温ではまた違った結果になるかもしれません。)

「環境」については、GPSのデータをもとに、自然環境or市街地、都市or郊外といった評価と、「景観が美しいこと」について研究者らが計算を行い、導き出された値が示されています。景観の美しさは、自然の美しさだけではなく建築等の人工物も含んでいます。
調査結果では、景観が美しいと幸福度が高くなる傾向を示しています。グラフでは掲載されていませんが、自然環境と市街地いずれにおいても、景観の美しさは重要な要素となっていました。さらに別の研究では、緑地の「緑」だけではなく、水の「青」も同じくらい評価されるということが示唆されています。

「自然環境に対する感情的な幸福度の評価」に関してまとめると、以下の通りになります。

  • 身体を動かすことで幸福感を感じやすい。

  •  暖かく、晴れている気象条件が幸福感を感じやすい。

  • 景観が美しいと幸福感を感じやすい。

自然はウェルビーイングを向上させる?

続いて、身体的なウェルビーイング、精神的なウェルビーイングに自然がどのような影響をもたらすのかみていきます。

まずは、自然が身体的な健康に及ぼす影響について調査した実験をいくつかご紹介します。

ある病院で、胆のうの手術をした複数名の患者を「樹木に面した病室」もしくは「レンガの病室」にランダムに振り分けて療養させました。その結果、樹木に面した部屋で療養した患者には鎮静剤の必要がなく、早く回復したといいます。
また、他の研究では、自然風景の写真を配置するだけでも回復が早くなるといった結果や、病室に植物があることで、痛みや不安、疲労が軽減され、血圧が低下したといった結果も報告されています。
このように、自然を何らかのかたちで感じることは、健康にポジティブな影響をもたらすのです。

次に、精神的な変化や行動の変化についてご紹介します。
学生に実験室で自然もしくは都市の写真を見せ、お金のやり取りをさせるという実験では、自然の写真を見た学生の方が、より寛大で他の人の利益にもなるような行動をとったといいます。
実際の社会においても、自然のポジティブな影響が確認されています。例えば、シカゴの貧しい地区の集合住宅における犯罪記録と、周囲の環境の情報を照らし合わせると、緑地に囲まれた場所の方が、犯罪が少なくなっていました。
なぜこのような現象がみられるかというと、自然には人の心を落ち着かせる効果があるためであると考えられています。ある研究では、自然の緑に面していることで人々の集中力が向上し、攻撃性が低下する、ということが示されています。

健康や行動への影響のみならず、幸福感へのポジティブな影響も示唆されています。
例えば、ドイツの生活満足度調査を用いた研究では、回答者の住所から1㎞以内の緑地面積が1ha増えるごとに、幸福度※1が0.007 ポイント上昇することが示されました。緑地面積当たりの幸福度上昇が分かれば、それを金額換算し緑地の維持費や土地代と比較することで、費用対効果を計算する※2こともできます。
※1 幸福度は生活満足度を10点満点で評価するものです。
※2 幸福に関する計算の方法については「Wellbeing Science and Policy」の別の章で紹介されていますので、別の記事でご紹介できたらと思います。

「緑地が人々の幸福度を高める」ということへの反論もあります。それは、緑地の近くに住んでいる人は、緑地の遠くに住んでいる人に比べ、より高い住宅価格を支払っているため、不幸であろうということです。これは経済学の分野で用いられる、空間均衡モデル※3による解釈でも同様です。
※3 地域間の移動や取引を定量的な評価するための理論
しかし実際には、前述のとおり緑地が多いほうが人は幸福であるというデータがあるのです。つまり、人は緑地を得るために支払っている経済的な費用以上に、大きな価値を得ている可能性があるということです。

また、人が本能的に自然環境を重要視しているという考え方もあります。
昆虫の専門家で、社会生物学などの著書でも有名なアメリカの生物学者エドワード・オズボーン・ウィルソン博士の有名な理論に「Biophilia(バイオフィリア)」というものがあります。
バイオフィリアとは、生物や自然を示す「bio」と、愛着といった意味合いの「philia」を合わせた言葉で、人が本能的に生き物を愛すことを指します。この言葉自体は、哲学者のエーリヒ・フロムにより1974年に提唱され、ウィルソン博士も同様の意味合いで用いました。この理論によると、人間は自然と密接に関わりながら進化してきたため、植物や他の動物(特に幼い哺乳類)に対し強い魅力を感じ、つながりを求めるといいます。
最近では、このBiophiliaの考えに基づき、オフィスに自然を取り込むような設計などもあるようです。

どのような説明であれ、自然環境は人のウェルビーイングにとって、重要な要素であるということは理解できます。では、「自然環境とウェルビーイング」についてまとめます。

  • 自然は身体的健康にポジティブな影響をもたらす。

  • 緑地は主観的な幸福感にポジティブな影響をもたらし、その効果は経済学的に過小評価されている可能性すらある。

  • 人間が本能的に自然環境に魅力を感じているという考え方が昔からある。

気候変動による損失と今日のコストの捉え方

ご存じのとおり、地球温暖化による異常気象や自然災害、海面上昇が世界中で報告されています。最も悲観的なシナリオでは、100年後には約4℃の気温が上昇し、深刻な干ばつや洪水が発生し、多くの人々の住環境の安全が脅かされるであろうと予想されています。このようなことが現実となれば、人々のウェルビーイングはもちろん低下するでしょう。

気候変動の問題は、全ての人に影響を及ぼす公共財問題の典型であり、個人の行動ではなく集団の行動により、さらには国際的に取り組むことによって、解決に向かうことができます。そのため国連はCOPを開催し、気候変動に対する各国の行動について枠組みを定め、合意形成を行っているのです。

一方、将来の世代のために、現代の世代が不合理なほどのコストを背負わされているのではないか、という考え方もあります。そういった考えが、どのような理論に基づくものなのか、ご紹介していきます。

経済的アプローチで捉える現在のコスト

「将来に世代のために、現代の世代が不合理なほどのコストを背負う」という考えは、将来の世代の利益について“割引き”を考慮する「社会的割引率」という概念に基づくものです。

社会的割引率とは、異なる時間における同じ財の価値を補正するための理論で、現在の価値と将来の価値の交換比率のことを指します。なぜこのような概念が必要かというと、現在の価値と将来の価値は本質的には異なっており、その差を考慮しないと、将来の利益になりうるものを過剰に評価してしまうことにつながるためです。この理論は公共事業の評価などによく用いられ、いくつかの算出方法があります。以下に、代表的な算出方法の一つであるRamsey式について掲載します。


【Ramsey式による社会的割引率の算出】
 
r = ρ+μ*g
 
r(社会的割引率)
ρ(純時間選好率):将来の利益に対して、現在の利益がどの程度優先されるか、あるいは優先されないかを表す値。
μ(消費の限界効用の弾力性):消費者が消費量を1単位増加させたときに得られる追加的効用の変化を示す値。
g(人口1人当たりの消費の年平均成長率):消費に関して複数年にわたる成長率から1年あたりの平均を求め、人口1人当たりに換算した値。


では、イギリスにおける社会的割引率の考え方に基づく評価について、具体例としてご紹介します。
イギリスでは、財務省が作成した公共事業の評価マニュアル(通称Green Book)において、社会的割引率が規定されています。イギリスではRamsey式を採用しており、社会的割引率の計算に用いる純時間選好率ρについて、本来の純時間選好率σ0.5%に予測不可能なリスクLを考慮した1.0%を加え、1.5%としています。

ρ(1.5%) = σ(0.5%)+ L(1.0%)

人口1人当たりの消費の年平均成長率は2%とし、消費の限界効用の弾力性μは1とします。すなわち、イギリスの社会的割引率は以下のように計算されます。

イギリスの社会的割引率 = 1.5% + 2%*1 = 3.5%

社会的割引率が3.5%ということは、将来の価値は3.5%割り引いて計算するということになります。

例えば、2100年(77年後)に気候変動による1ドルの損失を回避するためのある施策について、現在のコストを負ってまで行うべきであるかを検討する場合、回避される被害の大きさを便益とし、現在価値の計算を行います。

現在価値 = 1 * (1+(-3.5))^77 = 0.064

すなわち、損失を回避するためのコストが0.06ドル未満である場合、施策を行うべきであるという評価となります。

このような割引率による評価により、今日支払うべきコストが見合わないとされると、将来の気候変動に対する施策について疑問視する人も出てくる、という訳なのです。

※イギリスでは、将来の不確実性から長期的には純時間選好率が低下するという考えに基づき、評価期間に応じて社会的割引率は変化します。そのため、実際はGreen Bookに従い、社会的割引率の変化を適用した計算を行います。

ウェルビーイングのアプローチで捉える今日のコスト

上記の例は、社会的割引率に関して経済的アプローチをとったものでした。
一方、持続可能な福祉におけるアプローチでは、割引率が年間1.5%とかなり小さく計算されます。例えば、2100年にウェルビーイングに関する値が1ポイント損失する場合、先ほどと同じ計算をすると、今日のコストが0.33ポイント未満である限り回避策を講じる価値がある、ということになります。

また、割引率が単純に小さいだけではなく、気候変動の影響をより広く捉えて評価を行います。気候変動の影響をより広く捉えるというのは、紛争やコミュニティ損失などによるウェルビーイングへの影響も加味するということです。さらに、現在の幸福度が低い地域に住む人の方が将来の負担を背負うことになるという事実も考慮に入れます。

そういったことにより、経済的アプローチに比べ、気候変動による将来の損失に対して負うべき現在のコストに対し、寛大になり得るのです。

「気候変動による損失と今日のコスト」についてまとめます。

  • 気候変動の問題は、全ての人に影響を及ぼす公共財問題であり、国際的に取り組む必要がある

  • 経済的アプローチでは、気候変動による将来の損失と現在負うべきコストが見合わないように見える

  • ウェルビーイングのアプローチでは、気候変動による影響をより広く捉える

おわりに

今回の記事では、自然環境が私たちのウェルビーイングにとって重要な要素であること、そして気候変動という世界的な課題とそれに支払うコスト評価に対する経済的、ウェルビーイング的アプローチについてご紹介しました。

後者について、今回はコストの評価手法についてのみのご紹介となりましたが、「誰がコストを負担するのか」といったことや、「将来の世代を気候変動の脅威から守りながら、現在の世代に福祉を提供すること」などが、より現実的な課題となっています。そういったことに対する議論や評価指標について、今後の記事で取り上げていこうと思いますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事は私が書きました。

参考文献

Diener, E. (2009). Well-being for public policy. Oxford University Press.

Seresinhe, C. I., Preis, T., MacKerron, G., & Moat, H. S. (2019). Happiness is Greater in More Scenic Locations. Scientific reports, 9(1), 4498. https://doi.org/10.1038/s41598-019-40854-6

大谷悟, 佐渡周子, 今野水己, 土谷和之, & 牧浩太郎. (2013). 主要先進国等の公共事業評価に適用される社会的割引率. 土木学会論文集 D3 (土木計画学), 69(5), I_163-I_171.

Oxera Consulting LLP, A formula for success: reviewing the social discount rate.https://www.oxera.com/insights/agenda/articles/a-formula-for-success-reviewing-the-social-discount-rate/

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社. (2012). アメリカ及びイギリスにおける費用便益分析の手法と実例に関する調査研究.

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