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【基礎知識】自己超越|5つのアプローチとウェルビーイング

人間の基本的欲求を5階層で表したマズローの欲求階層説は有名ですが、晩年のマズローが第6階層を提唱していたことは、知らない方もいるかもしれません。マズローは、生理的欲求・安全の欲求・所属の欲求・承認欲求・自己実現欲求に続く第6階層として自己超越欲求を提唱していた…とされています。

マズローは、「人間がよい人生、幸せな人生を生きるために必要なものを発見する(中村, 1998)」ことを目的として、世界を自己と環境のみで考える誤った二分法を正すために、自己と環境あるいは自己と他者の間の境界が溶解し、自我を超越して、自己と世界が統合されたような感覚として、自己超越欲求を提唱していたようです(Kitson, et al., 2020)。

ところが、自己超越の概念は、研究者によって異なるアプローチがとられていて、混乱しています。しかも、その内容は哲学的かつ抽象的で難しいです。そのため、複数のレビュー論文によって概念整理が進んできています。

そこで、今回は、自己超越のレビュー論文を参考に、これまでの自己超越研究を振り返ってみたいと思います。


自己超越へのアプローチ

Worthら(2021)のレビューによれば、心理学者による自己超越というテーマへのアプローチは、①「人間存在(being human)」、②「意味(meanings)」、③「自己実現(self-actualization)」、④「フロー(flow)」、⑤「生涯発達(life-span development)」の5つがあるといいます。


「人間存在」アプローチ

人間性心理学の創始者の一人であり実存心理療法の父でもあるロロ・メイは、自身の博士論文をもとに「不安の意味」を出版しました。メイは、まず恐怖と不安を区別し、恐怖は具体的な対象を持つが、不安にはそうした対象を持てない性質があるとしました(若山, 2014)。これに基づいて、メイは不安を「非存在が差し迫っているという脅威の体験非存在の脅かし)」と定義しました。この種の不安は、現在では実存的不安と呼ばれています。

ただし、非存在の脅かしは、身体的な脅かしと精神的な脅かしに分けられ、ティリッヒは、前者を「運命と死の不安」、後者を「空虚と無意味の不安」と呼びました。ティリッヒはさらに責任に対する不安として「罪責と断罪の不安」も付け加えています。

このような不安が大きくなると、人間は「自分は卑しい存在だから、自分の人生は無意味なんだ」というように、自己の存在を否定することで、無意味への不安を回避しようとします。このことから、メイは、不安の克服には、自己意識(self-conscious)を高め、自己の存在を認識することが必要と考えました。

メイは、そのような存在を認識する方法の1つとして、「我あり体験」を通して「存在の感覚」を経験することを提唱していました。この方法は、メイのクライアントの一人である黒人女性の以下の体験に基づいています。

彼女は慢性的な不安や恐怖症状を抱えていたのであるが、それは私生児 として生まれたために、実の母親や親戚からその生を否定されながら育ってきたことが原因であった。しかしある時、彼女は自分が私生児であることを受け止め、自身の存在を脅かすような事実、すなわち非存在に向き合ったという。それと同時に、にもかかわらず「私がいる(I am)」という強烈な認識が生まれ、それによって「自身が生き生きしているという体験」をし、「私自身の存在の発見と、それとの結合」が生じた

(若山, 2014)

この黒人女性が感じた「自分自身のものとしてその存在を経験しているという感覚」を、メイは「存在の感覚」と呼びました。ただし、この体験は切掛けにすぎず、存在の感覚を土台として自己実現へ向かっていくことで不安が克服されていくといいます。

人間存在アプローチによる自己超越とは、メイの「存在の感覚」に相当すると考えられます。なぜなら、自己の存在を認識し、自己意識の範囲が広がり、それまでの自己を超越した感覚を感じるためです。


「意味」アプローチ

精神科医でありホロコースト生還者でもあるフランクルは、3大心理療法の1つである「ロゴセラピー」(あるいは実存分析)を作り上げ、ユング、フロイト、アドラーに次ぐ心理学者と言われています。

第二次世界大戦の悲惨な体験による精神疾患を治療する中で練り上げられたロゴセラピーは、人生に苦しみがあることを前提とし、それを克服することで幸福を目指す実存主義の立場をとっています。そして、克服のためのカギは、快楽を追求することでも苦痛を軽減することでもなく、「人生の意味を見出すこと」にあると、フランクルは考えました。

ただし、フランクルの言う「人生の意味」は、「自己の外側に、自己を離れて客観的に存在するはずであり、自己が作り出すものではなく、見出される性質のもの」(雨宮, 1999)で、主観を離れたもの(=超主観的なもの)です。言い換えると、「人生の意味」とは、自らの欲求から作り出された目標や目的ではなく、天啓によって得られた使命や天命のことと考えられます。

また、フランクルは、神経症患者が幸福を追求して依存症などで自滅していく様子から、「幸福は直接的に追求すべきものではなく、超主観的な意味を追求した結果として間接的に生じるもの」(雨宮, 1999)だと考えました。そして、このような意味を追求する動機のことを「意味への意志」と呼びました。

ところで、「意味への意志」を持つためには、前提として「意志の自由(人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている)」が必要になります。現代では、当然の前提のように感じますが、当時はフロイトの「快楽原則(人間の心は不快を避け、快を獲得するように自動的に決まる=意志は介在しない)」による決定論を真っ向から否定するものでした。

また、フランクルによれば、「自由」は、消極的で離れる方向の「~からの自由」と、積極的で向かう方向の「~への自由」の二種類が存在します。前者は、苦しみから逃れるための自由で、人間は存在根拠を見出すことができません。後者は、苦しみを克服するための自由で、フランクルはそれを「責任」によって補足されると言います(雨宮, 1999)。

ただし、「責任」は「なすべきことがら」を指しますが、日本語から連想される失敗により被らなければならない「負担」や失敗した人に向けられる「咎め」などの消極的なニュアンスは含まれていません(雨宮, 1999)。

意志の自由」「意味への意志」「人生の意味」は、フランクルの思想の中核になります。

そして、フランクルは、超主観的な「人生の意味」は自分以外の何ものか(他者、世界、自然、宇宙、神など)によって与えられ、「意味への意志」の積極的に世界あるいは他者に向かう側面を「自己超越」の能力(雨宮, 1999)と呼びました。

フランクルの自己超越には、3つの「意味への意志」の在り方があります。(Wong, 2016)

  1.  究極の意味を求める

    • 真・善・美という究極の理想を求めること。

    •  ただし、漠然とは理解できても、真に理解することはできない。

  2. 状況的な意味を求める

    •  経験や状況の細部に注意を払い、先入観や偏見を切り離し、それぞれの状況の意味を発見すること。

    • マインドフルネスとよく似ている。

  3. 天命を求める

    •  天命とは、「私が人生から何を得られるかではなく、人生が私に何を求めているか」のこと。

    • 天命は、究極の意味と状況的な意味の中間に位置する。

この中で、ロゴセラピーにおける「人生の意味」を求める「意味への意志」は、前述の通り、第3の「天命を求める」ことと考えられます。このことから、フランクルは、「意味への意志」の「自己超越」を「天命を求める」能力のことだと考えていたと推測できます。

最後に、フランクルの自己超越に関しては、Wang(2017)によってモデル化されているので、そちらをご紹介しておきます。

図 1 Wong(2017)のフランクルの自己超越モデル。Wong(2017)を参考に筆者作成。

ただし、この図の「自己超越」は、自己超越能力(意味への意志)ではなく、自己超越体験を意味しています。つまり、意味の追求を行い、意味を発見して、自己超越体験を経験すると、畏敬の念などが仲介して善良であろうとする精神や、高潔であろうとする精神外発的動機から内発的動機への転換利他的な思考への転換が起こることを意味しています。


「自己実現」アプローチ

マズローの唱えた欲求階層説は、①生理的欲求、②安全の欲求、③所属の欲求、④承認の欲求、⑤自己実現欲求の5つの基本的欲求に対して、下層の欲求がおおよそ満たされると、次の欲求を感じるようになる、というものでした。

マズローによれば、第5層の自己実現の欲求とは「人が潜在的にもっているものを実現しようする傾向(石田, 2019)」のことで、自己実現を達成した人々は「自分たちの到達できる最も高度の状態へ達し、また発展しつつある人々(石田, 2018)」です。言い換えると、その人が本来あるべき姿を実現し、能力を最大限に発揮している最高の状態が自己実現できた状態と考えられます。

石田(2018)は、マズローの著書「人間性の心理学」から、マズローが考えていた自己実現した人の特徴と思われる記述を抽出しました。図2は、石田によって抽出された特徴を、筆者が分類整理したものです。

図 2 自己実現した人の特徴。石田(2018)を参考に、筆者が分類・作図。

しかし、マズローの基準に適う自己実現をした人は、ほとんどが歴史上の偉人であったため、自己実現に到達するのは容易ではないと考えられました。その原因の一つは、自分自身が潜在的に真に望んでいる状態を自覚することが、理想像や欲望が邪魔をするため、一般には困難だからです(石田, 2019)。

そこで、マズローは「自己実現は、瞬間的に達成されるもの」と考えを改め、これまで自己実現を達成したと考えられた人々は、普通の人々よりも自己実現の頻度が多かったのだと解釈を変更しました。これにより、普通の人々は自己実現の頻度が少ないだけとなり、普通の人々でも自己実現を達成出来ることになります。

そして、マズローは、瞬間的な自己実現は「至高体験(peak experience)」によってもたらされると言います。至高体験は、自己実現者の多くが体験している現象で、「人間の最良の状態、人生の最も幸福な瞬間、恍惚、歓喜、至福や最高のよろこびの経験を総括したもの」と定義されています(石田, 2018)。至高体験を経ると、人は自己実現の特徴の多くを示すようになります。

至高体験と同義の「神秘的体験」(図2)とは、「限りなく地平が開けている感じ、エクスタシーと畏敬の感じ、非常に重要で価値のあることが起こったという感じを伴い、時には強度の集中・無我状態・自己喪失感・自己超越感などを感じる体験」(石田, 2018)で、これは自己超越体験と同じものと考えられます。

とはいえ、筆者を含めた一般人には、至高体験がどのようなものかを想像し難いものです。これに対し、石田ら(2020)は、マズローの著書「完全なる人間」から至高体験の特徴を抽出することで、至高体験を説明しました。図3は、石田らによって抽出された特徴にラベル名を付けて、筆者が分類したものです。

図 3 至高体験の特徴。石田ら(2020)を参考に、筆者が分類・作成。

至高体験の捉え方には、自分自身をどう感じるか、体験自体をどう感じるか、世界をどう感じるかの大きく3つに分類できました。たとえば、「(自由な意思)自分が活動の主体であると感じている。自由な意志でもって自分の運命を開拓していると感じている。」「(神秘性)詩的、神秘的、叙事詩的な表現が似つかわしい。」「(環境融合感)自己を取り巻く環境構成素と深いつながりを持ち、自己でないものとの融合感を得る。」(石田ら, 2020)は、それぞれ別の捉え方としています。

その後、マズローは、多くの人に自分の至高体験を思い出してもらい、その至高体験で感じたことを報告してもらった記録を整理集約することで、人間にとって普遍的な価値と思われる概念(図4)を導き出しました(石田ら, 2020)。

図 4 マズローの存在価値(石田ら, 2020)。筆者作成。

これらは、「存在価値(B価値、Being価値)」とか「メタ動機(メタ欲求)」とも呼ばれ、人類の普遍的価値であるとともに、自己実現欲求のための自己を超越した欲求(自己超越欲求)でもあります。正確ではないですが、「宇宙から地球を見て感動した体験(至高体験、畏敬の念)」から、「世界は美しくあって欲しい(自己超越欲求、美)」ので、「自然の美しさ伝える人間になりたい(自己実現欲求)」というような関係と考えることができるでしょう。

また、自己超越欲求は自分以外を対象とした欲求なので、必然的に人に利他性をもたらします。一方で、自己実現欲求は、本来の意味とはかけ離れて、利己的な欲求と解釈される場合もあります(山下, 2011)。しかし、自己超越欲求と結びついた自己実現欲求が、本来の自己実現欲求であり、利己性と利他性を統合したものになります。


「フロー」アプローチ

チクセントミハイは、「ロッククライミングのような生命の危険を冒す行為にあえて挑む人がいるのははぜか、たとえ収入や賞賛が得られなくても自分の追求する作品の創造に全力で取り組み続ける人がいるのはなぜか、人に見せるためでもないのに若者たちが音楽に合わせてダンスに興じるのはなぜか、といった素朴な問題意識」の答えが「楽しさ(enjoyment)」という内発的報酬にあると考え、その楽しさをもたらすものとして現象学的に見出されたのがフロー状態です(石田, 2010)。

チクセントミハイによれば、フローとは「遂行している活動に没入し、全意識がその活動を遂行するために働き、その活動をある瞬間から次の瞬間への連続した流れとして経験している状態(石田, 2010)」のことです。スポーツ分野でよく言及される「ゾーンに入った状態」と同じ状態を指すと考えられています。

そして、フロー状態には、「注意の集中」「意識と活動の融合」「自己意識の消失」「コントロール感」「時間感覚の変容(時間消失感)」「自己目的性(活動すること自体が目的)」「楽しさ」「流れ感(上手く流れていく感覚、フローの語源)」といった特徴があります(石田, 2010)。このうち、「注意の集中」「自己意識の消失」「時間感覚の変容」「自己目的性」は、マズローの至高体験(あるいは自己実現)の特徴と共通しており、フロー体験のより極まった体験が至高体験と考えることができます(石田, 2019)。

反対に、至高体験とフロー体験の違いは、その体験を意図的に起こすことができるかどうかにあります。マズローは、至高体験を「企図して得られるものではなく、あくまでも偶然に得られるもの」と考えていました。一方、チクセントミハイは、「最適経験とは、目標を志向し、ルールがあり、自分が適切に振舞っているかどうかについての明確な手掛かりを与えてくれる行為システムの中で、現在立ち向かっている挑戦に自分の能力が適合している時に生じる感覚である。」(石田, 2019)とし、フロー状態が発生するための3つの必要条件を明らかにしました。

フロー発生条件(石田, 2010)

  1. 達成目標の存在

  2.  課題の適度な困難度

  3. フィードバック

目前の明確な達成目標の存在は、平常時には散逸しがちな人間の意識や心的機能を目標に集中させ、意識を秩序立てることでフロー状態を起こしやすくします。また、チクセントミハイは「フローはチャレンジとスキルがともに高くて互いに釣り合っているときに起こる。」とし、課題が行為者の能力にとって挑戦と感じられる程度であることが必要だとしました。そして、目標へどの程度近づいているかを示す明確な手がかりの即時のフィードバックは、外部情報であるフィードバックに集中することで、内的な自己意識の消失を促し、フロー状態に入りやすくします。

フロー体験は、自己超越体験(あるいは至高体験)の1つと考えられますが、意図的に集中を促すことで、発生確率を高める方法論となっている点が、他の理論とは異なります。


「生涯発達」アプローチ

エリクソンの心理社会的発達とトーンスタムの老年期超越

自我同一性(アイデンティティ)という概念を創り出したエリクソンは、人間の生涯を8つの発達段階に分けて、各段階で習得すべき心理社会的課題があると考える心理・社会的発達理論を提唱しました。

例えば、青年期の心理社会的課題は、自我同一性(アイデンティティ)の獲得です。逆に、自我同一性を獲得できずに混乱している状態は、青年期における心理社会的危機と呼ばれます。青年期は、社会関係性が学校のクラスや仲間などの集団に広がる時期で、この時期の心理社会的危機を乗り越えるのに必要なのが、基本的な強さである忠誠だそうです。

各発達段階の心理社会的危機とそれを乗り越えるための基本的な強さは、以下の表にまとめました。

図 5 心理・社会的発達の9段階。廣瀬・小林(2020)と増井(2016)より、抜粋・統合。年齢は、筆者が目安として追記。

エリクソンは、当初、発達段階を第8段階の老年期までしか考えていませんでしたが、晩年になって第9段階の存在を示唆していました。これは、老年期では身体機能の低下に比例してウェルビーイングが低下するにもかかわらず、超老年期では身体機能が低下してもあまりウェルビーイングが低下しない、という調査結果が見つかったためです。

しかしながら、超老年期は、同世代の友人が亡くなっていき、社会的ネットワークが必然的に縮小していく時期で、これが心理社会的危機になると考えられます。エリクソンは、この危機を乗り越える強さに相当するもの、あるいはこの危機を乗り越えた姿が老年的超越(gerotranscendence)ではないかと指摘しました。

老年期超越は、「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化」と定義され、スウェーデンの社会学者トーンスタムによって提唱されました。増井(2016)は、日本人向けの老年的超越の構成概念を明らかにしました(図6)。ほとんどの因子はトーンスタムの老年的超越でも対応する概念がありますが、「無為自然」因子だけは日本人でのみ見つかっています。

図 6 日本人の老年期超越の次元。増井(2016)より、抜粋。

増井(2016)は、85歳以上の超高齢者155名にアンケート調査を行い、生活機能が低下してウェルビーイングも低下した群(低機能低WB群)と、生活機能が低下しながらもウェルビーイングが高い群(低機能高WB群)との間で、老年期超越の群間比較を行いました。その結果、「内向性」「社会的自己からの脱却」「無為自然」の3因子の得点について、低機能高WB群の方が有意に高いことを確認しました。したがって、「孤独を肯定的に捉え、こだわりを捨て、あるがままを受け入れる」ことが、超老年期の心理社会的危機を乗り越えるポイントなのかもしれません。


リードの自己超越看護理論

1990年代初頭に、リードが自己超越と高齢者のうつ病の間に有意な相関を発見し、自己超越が予測因子である可能性を発表したことで、自己超越の看護領域への応用が始まりました。その後、がん患者やエイズ患者、特別養護老人ホームの入居者、慢性疾患を持つ高齢者、多発性硬化症や脊髄性筋萎縮症などの難病患者、臓器移植希望者、ホームレス、看護師や介護者にも効果が確認され、リードの理論は、自己超越看護理論と呼ばれています。

自己超越看護理論は、次のようなモデル図で表されます。

図 7 自己超越看護理論のモデル。Reed & Haugan(2021)より、筆者作成。

図7は、2つの事柄を示しています。1つは、脆弱性からウェルビーイングへの影響には、自己超越が媒介要因になることです。もう1つは、個人的要因(年齢、性別、民族、教育歴など)と状況的要因(病気の程度、生活歴、社会的支援、精神的支援等)に、調整効果があることです。

脆弱性とは、生命を脅かされたり、死を悟ったり、あるいは喪失を伴う体験をしたときに高まる意識の感覚です。たとえば、慢性および重篤な病気、障害、老化、死別、トラウマ的な出来事、子育てと介護、人生の終わりに直面した場合などに生み出されます。

看護分野では、診断に基づく客観的健康としてウェルビーイングを定義しますが、この理論のウェルビーイングは主観的な感覚です。ここでのウェルビーイングには、実存的な判断や重要な人間関係だけでなく、その人の歴史、文化、発達段階などが影響します。指標には、人生満足度、幸福度、加齢による士気の高さ、人生の意味や目的、うつ病、不安、孤独感などが使用されます。

リードの看護理論における自己超越は、以下の4つの方法で自己境界を拡張(超越)する視点と行動を指します。

  1. 内向き…自分の信念、価値観、夢の自己認識を高めて超越する

  2.  外向き…社会環境や自然環境、人間関係を通じて超越する

  3. 上向き…日常を超えた、自己俯瞰した視点を通じて超越する

  4. 時間的…過去と未来を現在に結び付けることで超越する

結局、自己超越の媒介効果とは、脆弱性を抱えた人が、自己境界を拡張する認識を持つことで、ウェルビーイング(幸福)を感じられるようになる、ということを表しています。個人的要因や状況的要因の調整効果は、その人の年齢や生活環境によって、媒介効果の影響度が上下することを表しています。

例えば、余命宣告を受けた人の暗澹たる気持ち(脆弱性)が、自分が祖先から子孫へと連なる大きな家系の一部であるといった自己境界を自分から家系へと拡張すること(自己超越)で、自分が生きた意味を感じられる(ウェルビーイング)、という場合が考えられるでしょう。しかし、家系がハッキリしないなどの状況的要因がると、このような自己超越の媒介効果は期待できません。

この自己超越看護理論は、病気やケガを治療する方法ではなく、苦難を克服するための治癒の方法です。看護師は、患者の自己超越を促すことで、苦しみを乗り越えられるようにサポートします。


まとめ|自己超越とウェルビーイング

今回は、自己超越の研究について、5つアプローチを紹介しました。

図8.自己超越の5つのアプローチ

自己超越は、主に実存心理学・人間性心理学・生涯発達心理学の分野で、考えられてきたことが分かりました。また、同じ自己超越と言っても、体験に関する自己超越(「我あり体験」「至高体験」「フロー体験」)、意志や態度に関する自己超越(「意味への意志」「自己境界の拡張」)、老年期に特有の自己超越(「老年的超越」)がありました。

生涯発達心理学領域では、自己超越とウェルビーイングの直接的な比較が行われていました。しかしながら、その対象が超老年期の人や脆弱性を負った人に限定されているため、研究結果を若年層や普通に生活している人々にも適用してしまうのは早計でしょう。

しかしながら、人間性心理学に関する研究でも、自己超越と主観的幸福感に関係があることは示唆されています(中村, 1998)。このことから、おそらく自己超越とウェルビーイングには関係があると考えられます。特に、フランクルの「人生の意味」は、意味のある人生を求めるユーダイモニアそのものと言ってもよく、故にユーダイモニアを測定するための心理的ウェルビーイングとの関連性が予想されます。心理的ウェルビーイングの構成要素の1つは「人生についての目的」であり、これは「人生の意味」とほぼ同じ意味でしょう。

ただし、フランクルの言う「意味」は、その人の内部から「湧き出てくるもの」ではなく、神や自然などの外部から「もたらされるもの」で、「天命」のようなものでした。そのため、この場合の「意味」は、「自分にとっての意味(利己的意味)」ではなく「世界にとっての自分の意味(利他的意味)」を表します。このような、利他的意味を求める気持ちが「自己超越欲求」であり、その態度が「意味への意志」なのでしょう。

「自己超越欲求」がB価値を求める欲求だとし、「価値があるからこそ『意味がある』と感じられる」とするならば、「意味」はB価値と関連性があると考えられます。すなわち、その人にとっての利他的意味はB価値のどれかを実現するものになっているのではないでしょうか。

ところで、「存在の感覚」は、本来の自分の存在を認識し、受け入れることなので、自己実現に必要な自分が真に求める状態を認識したこと、すなわち「自己実現欲求」を認識したことに近いと考えられます。そして、自己実現への意志を自己決定できるため「意志の自由」が確保されたとも考えられます。

結果として、メイ、フランクル、マズローの自己超越は、それぞれ関連してユーダイモニアへ至るメカニズムや状態を、違う角度から議論しているように思えます。

自己超越とウェルビーイングの研究については、今後も調査していこうと思います。

執筆:山本(自己超越は、本当に難しかったです・・・)

当社の研究について

参考文献

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    http://www.drpaulwong.com/frankls-self-transcendence-model-and-virtue-ethics/

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