論文紹介 | 回復的環境に関する研究
はじめに
秋も深まり、いよいよ冬の足跡が聞こえてくる11月中旬、関東の筆者自宅から少し足をのばしたところにある大きな公園で、毎年恒例の秋探しを行いました。静かで冷涼な空気を肌で感じ、非常にリラックスすることができました。
このように、「○○で過ごすとリラックスできるな~」「仕事を忘れて休暇を過ごすなら○○が間違いない!」といった、一息ついたり心を休めることができる場所を持っている方が多いと思います。
今回は、精神的なストレスを和らげたり、ストレスからの回復を促進してくれる環境「回復環境(restorative environment)」について、その概要と尺度、そして尺度を用いた研究をご紹介します。
リカバリー経験 | ストレスからの回復を促進する過ごし方
こちらの記事で、休暇の過ごし方とウェルビーイングの関係についてご紹介しました。そのなかで、就業中のストレスによって損なわれた「心理社会的資源」を元の水準に戻す活動として「リカバリー経験」について、少々触れています。まずはこれらについて少しおさらいします。
心理社会的資源とは、逆境に対して適応的な反応をとる際に利用できるさまざまな資源(社会的支援や個人的属性など)のことを指します[1]。Harberらの被験者が赤ちゃんの泣き声を聞き、赤ちゃんがどれだけ苦痛を伝えているかということを評価する実験では、心理社会的資源が苦痛の認識を和らげる効果があると報告しています[1]。
リカバリー経験には「心理的距離」「リラックス」「熟達」「コントロール」の4種類があるとされいます[2]。
心理的距離は、仕事から物理的・精神的に離れ仕事のことを考えない状態を指します。リラックスは、心身の活動を意図的に低減させくつろいでいる状態を指します。熟達は、自己啓発につながるような活動を指します。コントロールは、余暇時間をどのように使うか自分で決めることができる状態を指します。これら4つのリカバリー経験は、ワーク・エンゲージメントと正の相関があり、ワーカーホリズムと負の相関があると報告されており[3]、厚生労働省による労働白書でも紹介されています[4]。
リカバリー経験を測定する尺度としては「日本語版リカバリー経験尺度(REQ-J)[5]」というものがあり、以下のような項目で構成されています。
産業保健分野では、リカバリー経験の尺度として上記REQ-Jがよく用いられます。しかし、測定対象となる人の属性が異なると、REQ-Jではリカバリー経験を正しく測定できないことがあるようで、他の尺度も開発されています。例えば、以下に示すような、乳幼児を持つ働く母親を対象とした尺度[6]などが検討されているようです。
上記は尺度開発のための予備調査の結果ですので、すぐに活用できる尺度ではありませんが、乳幼児の育児中のリカバリー経験として参考にできそうです。心理的距離について、REQ-Jと因子名こそ同じですが、項目の内容が異なっていることが興味深いです。
回復的環境 | ストレスからの回復を促進する環境
では、ここから本記事の本題である「回復的環境」について、Korpelaらの研究[7]からご紹介します。
回復的環境とは、冒頭でも述べた通り精神的なストレスを和らげる、ストレスから回復するといった回復経験を促進してくれる環境のことです[7]。リカバリー経験と似た概念ではありますが、「仕事によるストレスを休暇中に回復する」といったシチュエーションを限定するものではありません。
回復経験は、注意力を回復させたり、自分自身について熟考したり、ポジティブな気分への変化を伴います。回復経験と「環境(場所)」の関連付けに関するKorpelaらの理論(回復環境理論)[7]をご紹介します。
回復環境理論 | 環境と回復経験の関係
まず、回復経験に環境が関わる一つの根拠として、Epsteinの認知経験的自己理論※を挙げています。
認知経験的自己理論によると、特有なある状況に対する認知は容易に変化するもので、場所へのアイデンティティは変化・成長する認知構造であるといいます[8]。この理論における説明は、場所への愛着やアイデンティティが、一定の自己調整機能として作用するというKorpelaらの見方と一致しています。
※Epsteinの認知経験的自己理論(CEST)とは、快を追求して不快を避けようとする動機あるいは行動原理(快楽原理)と自己概念を統合し維持しようとする動機(統合原理)の2つを基本原理とする自己理論です。認知を階層的に捉え、低次の方が変化しやすく、高次の方が変化しづらいと捉えます[9]。
(例)低次:「私は数学ができる学生である」、高次:「私は価値のある人間である」
また、自己調整は精神的・身体的・社会的・環境的戦略によって生じるとされ、そのなかでも場所が重要な要素の一つとして登場します[10]。
精神的戦略
個人が感情のバランスをくずさないようにするための意図やイメージ、動機などによる操作のことを指します。身体的戦略
身体的プロセスにおける身体の使い方の使い方のことです。例えば、ジョギングをする際に、肯定的な自己イメージを維持するのために自分の体力をコントロールするといったことが挙げられます。社会的戦略
内的目標を達成するために他者に依存することを指します。例えば、子供が緊張を和らげるために親の助けを得るといったことが挙げられます。社会的戦略においては、個人の恒常性維持のプロセスを超えて、社会的な愛着や交流などへと範囲が拡大しています。環境的戦略
さらに範囲が拡大し、場所の利用や認知による調整のことを指します。お気に入りの場所に住むことが、自己調整における重要な要素であることが報告されています[11]。
お気に入りの場所と回復経験の関する先行研究
Korpelaによる先行研究[10]では、「お気に入りの場所は自己や感情の調整のために環境を利用するための“窓”を提供する」という仮説に基づき、調査が行われました。その調査では、青少年の“お気に入りの場所での体験”に関するエピソードをつづった作文から、リラックスしたり、心を整理したりするために、お気に入りの場所に行くことが多いことが示されました。お気に入りの場所の条件として、以下のようなものが挙げられました。
美的に魅力的である
社会的な圧力から逃れることができる
表現とコントロールの自由が得られる
その後の研究[12]では、お気に入りの場所では「首尾一貫性」と「適合性」が高い水準で経験されることが示されました。また、公園、森林、湖などの自然環境が主要なカテゴリーを構成し、次点で家(住居、家庭)が多く上げられました。
こういった先行研究をもとに、さらなる調査が行われ、さらに環境の持つ回復的特性を評価する尺度として、Perceived Restorativeness Scale(PRS)という尺度が開発されました[7]。
Perceived Restorativeness Scale(PRS)
では、PRSの内容とRPSを用いた実験[7]についてご紹介します。
PRSは、逃避(Being away)、魅了(Fascination)、首尾一貫性(Coherence)、適合性(Compatibility)の4つの下位尺度から構成されています。RPSの項目について、一部を直訳したものを掲載します。
実験では、アメリカの大学生を対象とし、好きな場所または不快な場所にいるときに感じた感情について、RPSおよび自由記述を収集しました。
お気に入りの場所と不快な場所の回答結果について、図1に示します。
お気に入りの場所について、自然環境に分類される回答が最も多く48%となりました。不快な場所については、地域のタイプを指定した地理的エリア(「治安の悪い地域」「騒々しい繁華街」など)が多く26%でした。
お気に入り場所での体験について、リラックスした気分、心配事を忘れた気分、思索にふけった気分といった回復経験に関連するものが多く回答されていました。
続いて図2に、それぞれの場所に関するPRSの測定結果を示します。
PRSの逃避、魅了、首尾一貫性、適合度のいずれについても、お気に入りの場所については高い値を示しました。ただし、先行研究[12]以上に因子間の差が小さく、有意な差がが見られたのは魅了と適合度の間(p<.03)のみでした。魅了と適合度に有意な差があるということは、魅了された場所よりも、自分の居場所と感じられる場所の方が、お気に入りの場所になりやすいということを示します。
この実験では、幸福感に関する尺度の測定は行われませんでしたが、自由記述にて、リラックス、落ち着き、心地よさといった幸福感、楽しさや興奮などのポジティブな感情が報告されました。つまり、回復的環境での回復経験が、ネガティブからの回復にとどまらず、ウェルビーイングの促進に寄与することが予想されます。
また、興味深いことに、お気に入りの場所について「孤独(一人でいること)」が多く言及されていたといいます。孤独というとネガティブな印象を受けますが、自分自身について熟考することができる場所というのは、プライバシーが確保できる場所であると考えられます。
日本語版PRS
日本語版PRS[13]も開発されています。先ほど紹介した英語のPRSよりも新しい尺度を日本語訳しており下位因子も異なることから、簡単にご紹介しようと思います。
日本語版PRSの検証では、「お気に入りの場所」といった定義ではなく、刺激場面を規定して測定を行っています。具体的には、自然風景場面2種類(小道、広場)、都市風景2種類(街路樹、高層ビル)のカラー写真を被験者に見てもらい、それらに対するPRSの項目の反応を測定しています。
日本語版PRSの内容は以下の通りです。
刺激場面ごとのPRSの測定結果は以下となります(熟知度の項目については偏りが大きかったため、分析から外されています)。
Korpelaらの研究[7]では不快な環境として都市が挙げられることが多く、首尾一貫性(まとまり)の平均値が高くなっていました。上記の結果を見ても、都市はまとまりといった観点では高く評価される傾向にあることがわかります。しかし、全体的に自然風景場面の方が高く評価されています。
ただし、上記は東京近郊の大学に通う学生を対象とした調査結果であるため、異なる地域に暮らす人々、異なる年齢層、職業など対象を変えることで異なる結果になる可能性も考えられます。
おわりに
今回は、回復的環境についてご紹介しました。回復的環境とウェルビーイングとの関係は示されていまませんが、おそらく関係があるでしょう。少なくとも、ストレスからの回復という観点で、お気に入りの場所を活用することは、有効であるといえます。
仕事や家事・育児などに疲れたとき「どこで過ごすか」といった場所に着目して考えてみるのもよいのかもしれません。
(執筆者:丸山)
私たちの研究について
https://www.nec-solutioninnovators.co.jp/rd/thema/well-being/index.html
参考文献
Harber, K. D., Einev‐Cohen, M., & Lang, F. (2008). They heard a cry: Psychosocial resources moderate perception of others' distress. European Journal of Social Psychology, 38(2), 296-314.
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窪田和巳, 島津明人, & 川上憲人. (2014). 日本人労働者におけるワーカホリズムおよびワーク・エンゲイジメントとリカバリー経験との関連. 行動医学研究, 20(2), 69-76.
厚生労働省. (2019). 令和元年版 労働経済の分析 -人手不足の下での「働き方」をめぐる課題について-. 252-263.
Shimazu, A., Sonnentag, S., Kubota, K., & Kawakami, N. (2012). Validation of the Japanese version of the recovery experience questionnaire. Journal of occupational health, 54(3), 196–205. https://doi.org/10.1539/joh.11-0220-oa
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Korpela, K. M. (1992). Adolescents' favourite places and environmental self-regulation. Journal of Environmental Psychology, 12(3), 249-258.
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