組織の徳倫理学|徳と企業経営の交差点
数回前の記事で、ウェルビーイングの1つであるアリストテレスのユーダイモニアと起源が同じである徳倫理学について触れました。
現在の倫理学は、主として功利主義・義務論・(現代)徳倫理学の3つに分けられました。さらに、現代徳倫理学は、主としてアリストテレス徳倫理学(新アリストテレス主義)・行為者に基づく徳倫理・多元主義的徳倫理の3つに分けることができました。
倫理学は、「善とは何か?」や「正しい行為とは何か?」を考える哲学ですが、人間個人を対象にしています。しかし、現代社会を構成する実体は、人間個人だけではなく、国家や機関、企業などの組織も考える必要があります。
そのため、学術的には、組織の徳倫理学を提案されています。また、最近、「善」「徳」「正しさ」といった概念が、(私たちの仮説も含めて)ビジネスに必要とされる兆しがあります。
そこで、今回は、「善」「徳」「正しさ」「倫理」などのビジネス応用の兆しと、組織の徳倫理学の萌芽的な研究論文についてご紹介します。
組織の徳倫理学
後述する名和(2024)は、古典的なアリストテレス徳倫理を参考にしていますが、現代徳倫理学では、ハーストハウスらの新アリストテレス主義や、スロートの行為者に基づく徳倫理、スワントンの多元主義的な徳倫理など、豊かな展開を見せており、経営も現代徳倫理学によるアプローチを考えても良いでしょう。
実際、杉本(2022)によれば、経営倫理学の分野で徳倫理学的アプローチが増えてきていると言います。その背景には、功利主義や義務論では説明困難な側面を説明できることが挙げられます。例えば、「売上や利益が出ていることが正しい」という考えは功利主義に相当するでしょう。あるいは、「法規制に違反しないことが正しい」という考えは義務論に相当します。しかし、グーグルのような「邪悪にならない(ことが正しい)」(名和, 2024)という考えは、功利主義や義務論では説明が難しくなります。
徳倫理学の限界
しかしながら、ビジネスへの徳倫理学の適用には2つの限界があるといいます(杉本, 2022)。1つは「ビジネスは個人の徳を抑制し、悪徳を育んでいる」というマッキンタイア(1981)の指摘です。2つ目は、企業統治の失敗や過剰なノルマなど組織構造や組織文化によって引き起こされる不祥事が後を絶たないことです。これらは、「個人がどうあるべきか」ではなく「組織がどうあるべきか」の必要性を示しています。
1つ目について、マッキンタイアは「調和しているが複雑な形態の、社会的に確立された協力的な人間活動」をプラクティス(実践)とし、ビジネスもその一つだとしています。この実践において獲得できる善は、報酬や地位や名声などの外在的善と卓越性などの内在的善の二つがあります。後者は、仕事の誇りなどの徳を身につけ発揮することで獲得できます。しかし、競争的なビジネスの環境では、外在的善に夢中になり、徳を育む機会が失われ、悪徳ばかりが育まれてしまう、というのがマッキンタイアの指摘です(杉本, 2022)。
2つ目について、企業統治の問題点を指摘する研究や不祥事を起こした組織の特性を明らかにする研究があります。しかし、これらは「問題のあった組織がどういうものか」を明らかにするもので、倫理学観点で「組織がどうあるべきなのか」を評価するものではありません(杉本, 2022)。つまり、「こうなると問題だよね」とは言えますが、「じゃあどうなればいいの?」という問いには答えられません。
杉本(2022)では、これらを克服し、「組織がどうあるべきか」を示すために、「組織の徳」というものを考えています。
先行研究
杉本(2022)によれば、「組織の徳」にも、いくつかの先行研究があります。
ソロモン(1992)は、友愛・名誉・忠誠・恥じらいを企業の徳として挙げているが、根拠は述べていない。
シュット(2000)は、効率的生産を徳としたが、効率は高ければ高い方が良いため、アリストテレスの言う中庸は存在しないとした。
ゴーリー(2007)は、効率的生産は「必要以上にコストを下げる」「必要以上に製品を作る」といった悪徳につながるため、中庸が存在するとした。
チャン(2005)は、組織の徳尺度の構成次元を、インテグリティ・共感(empathy)・暖かさ(warmth)・勇気(courage)・誠実さ(conscientiousness)・熱意(zeal)としたが、理論的根拠はない。
ムーアら(2006)は、「外在的善の過剰な侵入を許さない制度」を持つ組織を有徳とし、正義・勇気・誠実さ・インテグリティ・忠誠を組織の徳とした。さらに、組織はこれらの徳を備えることができるとした。
ただし、これらは「組織の徳とは何か」「正しさの基準はどのようなものか」が問われていません(杉本, 2022)。
一方、杉本(2022)によれば、ビショップ(2012)が企業に徳が適用されるために満たすべき3条件を提示しているそうです。その条件を、引用しておきます。
開花繁栄という言葉からも明らかなように、これは新アリストテレス主義を念頭に置いた徳の基準です。また、徳は、開花繁栄を構成する性格特性だと考えられます。
そこで、杉本(2022)は、ビショップの3条件に基づいて「組織の徳」の定義を試みています。
組織の徳の定義
ビショップの3条件に基づいて「組織の徳」を定義するのであれば、「組織の開花繁栄」とは何かを考えなければなりません。
直感的には、「繁栄した企業組織」とは、「利益がある」「成長している」「株主利益が最大化されている」組織などと考えてしまいがちです。しかし、利益や成長は外在的善であり、徳が関連する内在的善ではありません。そのため、「組織の開花繁栄」の定義には適していません。
そこで、杉本(2022)は、「組織の開花繁栄」として「組織をとりまくステークホルダーの開花繁栄」を提案しています。
これによれば、「組織の徳」とは、「組織をとりまくステークホルダーの開花繁栄につながる組織の性格特性」となります。
このように定義された「組織の開花繁栄」は、ビショップの3条件を満たします。この定義は、利益や成長で定義していないため第一条件を満たします。また、「組織の開花繁栄」が「ステークホルダー(人間)の開花繁栄」で定義されるため、第二条件(両立条件)も満たします。
第三条件(育成可能な性格特性)については、注意が必要です。もし、性格特性に心が必要であれば、「組織の心」を想定しなければなりません。しかし、「組織の心」の存在は、研究上でもよく分かっていません。そのため、杉本(2022)は、性格特性の先行研究の提案(例、「性格特性とは一定の行為(活動)の要約である」)に基づいて、組織の行為(活動)を認めるのであれば、組織の心を想定しなくても、組織の性格特性は定義可能だとしています。
正しさの基準
徳倫理学では、徳に基づいた「行為の正しさ」の基準を考える必要があります。杉本(2022)は、組織の心を想定する必要がない理論として、スワントンの多元主義的徳倫理学の適用を提案しています。
多元主義的徳倫理学は、徳とは1つではないと考えます。そして、多様な徳には、それぞれ適用分野があり、それぞれ目標があり、それぞれの目標に向かった行為が正しい行為だと考えます。例えば、組織の徳には、「信頼性」や「慎重さ」や「革新性」といったものが考えられます。組織の徳の目標には、それぞれ「信頼獲得」「事故回避」「新価値創造」が考えられます。しかし、これらは「ガバナンス」「リスク・マネジメント」「イノベーション」といった組織の一側面を表しています。例えば、「イノベーション」分野で「慎重さ」を徳とは考えにくく、「リスク・マネジメント」分野で「革新性」は徳とは考えにくいです。
このような考察を通して、杉本(2022)は、多元主義的徳倫理学の正しさの定義を参考にして、組織の徳倫理学の正しさの基準を以下のように提案しています。
評価の事例
「組織の徳」の欠如が明確になるのは、企業の不祥事が明らかになったときでしょう。杉本(2022)は、事例として「生命保険の不適正募集問題(2019)」(事例①)を取り上げています。また、最近の事例としては「不適切な保険金請求問題(2023)」(事例②)が記憶に新しいかもしれません。どちらも調査委員会による調査報告書が公開されており、本記事ではこれら調査報告書の記述が正しいと仮定します。
従来の徳倫理学では、不祥事の原因として「不正を行った個人に悪徳が備わっていた」と評価されることでしょう。実際、どちらの報告書でも、自己利得のために不正を行った者がいたことが指摘されています。しかし、同時に、両方の報告書では、組織構造や組織文化の問題も指摘されています。これらは、個人の徳をベースとした徳倫理学の範囲を超えるものです。
2つの報告書では、不祥事の原因が分析されており、組織に関する原因にはいくつかの共通点があります(下図)。
コンプライアンス意識が欠如している中で、正しい活動よりも優先される目標達成という理由が設定されたことで、目標達成していれば不正でも厚遇する、目標未達なら正しい活動でも厳罰に処する、という文化を生み出されました。そして、厳罰を恐れるあまり社員には恐怖が生まれ、萎縮と盲従の組織風土ができていきます。その結果、目標によって不正が正当化され、萎縮によって不正が抑制できず、不正を広めることも止めなかったため、不正が組織に蔓延してしまいました。
帰結主義(功利主義)に基づけば、これらは営業目標達成という帰結(功利)に向かった正しい活動と言えるでしょう。なぜなら、これらの方法で営業目標を達成できていたからです。しかしながら、もし営業目標達成を「組織の徳」と考えると、実際には「ビジネスは個人の徳を抑制し、悪徳を育んでいる」というマッキンタイアの指摘が実現していると見ることができます。したがって、ビジネスにおけるコンプライアンスの側面では、成長や利益を組織の徳として扱わない「組織の徳倫理学」が極めて重要と言えるでしょう。
事例①について、杉本(2022)によれば、社長会見で「信頼回復に向けた業務運営」「お客様の信頼回復の第一歩として」という文言が繰り返し強調差れました。また、事例②についても、当該企業は「調査報告書の提言を真摯に受け止めると共に、顧客満足を第一に考えるという原点に立ち返り、全社を挙げて再発防止策を実践し、客および損害保険会社をはじめとしたすべてのステークホルダーの信頼回復に向けて不断の努力を行うことを約束する」としています。どちらも「信頼回復」という文言を使用しています。
このことから、杉本(2022)は、多元的な「組織の徳」として「信頼に値すること=信頼性(trustworthness)」を取り上げています。山岸(1998)によれば、「信頼(trust)」は信頼する側の心理を表し、「信頼性」は信頼される側の特性を意味します。また、マイヤー(1995)の研究によれば、「信頼性」は、3つの要素「能力」「善意」「インテグリティ(一貫性)」が必要だと言います。下図では、事例①と事例②について、この3要素をまとめました。簡単に言うと、事例①と事例②は、信頼性の3要素をすべて満たしていません。
前述の通り、スワントンの多元主義的徳倫理学では、徳の目標に適合した行為が「正しい行為」とされます。そして、「信頼性」の組織の徳の目標は、「あらゆるステークホルダーからの信頼の獲得」と考えることできます。ところが、事例①と事例②では、ステークホルダーからの信頼を損なう活動を実施していました。
したがって、事例①と事例②は、組織の徳倫理学における正しさの基準からは、正しい活動を行っていたとは言えないことになります。
エシックス経営
最近、名和高司は著書「エシックス経営」(2024)の中で、自らが提唱したパーパス経営の問題点を指摘し、パーパスをプラクティス(実践)として実装する案として、アリストテレスの徳倫理を参考にした「倫理に基づいた経営(=エシックス経営)」を提唱しています。
パーパス経営の問題
「パーパス経営」は、2021年以降、ビジネス業界に急速に広まりました。今では、経営理念の代わりに、多くの企業が「志」や「存在意義」の意味として「パーパス」を掲げています。
しかし、「パーパス経営が標榜されるものの、多くの企業では掛け声倒れに終わっている」(名和, 2024)と言います。名和(2024)は、これを「額縁パーパス」と呼びます。
これは、パーパスが「きれいごと」にしかなっておらず、経営や現場の現実と乖離しており、「日々の実践での行動原理にまで落とし込めていない」(名和, 2024)ことが原因だとしています。
そして、名和(2024)は、「きれいごと」を「日々の行動原理」に連結するのが「倫理(エシックス)」という覚悟だと言います。
エシックス経営の3P
パーパスは「きれいごと」にすぎないため、それをプラクティスに落とそうとすると、とたんに現実の壁にぶつかってしまいます(名和, 2024)。例えば、プラクティスによる経済価値を軽視すると企業の持続可能性が揺らぎ、パーパスによる社会価値を軽視すると企業の存在意義が問われる、というようにです。
そこで、図3のように、高いパーパスを実践するうえで、判断軸となるプリンシプルをいかに実装するかが重要になります(名和, 2024)。ここで、プリンシプルは倫理を基軸とした行動原理、プラクティスは社員による実践を表します。
そして、名和(2024)は、パーパスの自分ごと化だけでなく、むしろプリンシプルこそ、自分ごと化が必須であるとしています。プリンシプルは、現実問題を解くための判断軸になっていなければならず、抽象的な美辞麗句でも、細かい行動規範でも役に立たちません。美辞麗句では曖昧過ぎて判断できず、行動規範は想定外の現実問題に対応できないためです。
結局、倫理の本質にまで立ち返って、とるべき行動の原理原則をしっかりと一人一人の胸に刻み込む必要があります(名和, 2024)。
パーパスの実装
名和(2024)は、倫理を「社会的な秩序を維持、発展させるための行動原理」と定義し、パーパスの実装には、次のような変態(メタモルフォーゼ)が必要だと説いています。
社員にとって外発的な「バリュー(価値観)」を、内発的な「ビリーフ(信念)」へと変質させる。
組織のパーパスを、個人のパーパスに引きずり込む。
規則として違反行動を排除するだけの「行動規範(Code of Conduct)」を、より善い判断・行動を促す信念を外部化した「プリンシプル(行動原理)」に変える。
外発的なルール・ベース・ガバナンス(規則による統治)を、内発的なプリンシプル・ベース・ガバナンス(原理による統治)に変える。
悪いことしないための「コンプライアンス(遵守)」ではなく、善いことをするための「インテグリティ」を中核に据える。
これらは、倫理学的観点で見ると、カントの義務論的な倫理から、アリストテレスの徳倫理的な倫理への変態が意図されています。
こうすることで、プリンシプルが基軸となって、その企業ならではの文化やリーダーシップの在り方が形成され、さまざまなプロセスや仕組みが整備され、ブランドや知財といった無形資産が蓄積され、パーパスが実践されていきます(名和, 2024)。
ユーダイモニア
コンプライアンスとインテグリティは、その違いはよく分からないかもしれません。名和(2024)は、先行研究を参考にして、コンプライアンスとインテグリティの違いを次のようにまとめています。
「インテグリティ」という言葉は、日本語に翻訳しづらい概念で、もともとは「誠実、真摯、高潔」という意味でしたが、現在では「完全性」とも訳されます。
しかしながら、名和(2024)は、「インテグリティ」の日本語には「徳(善や正義に従う品格)」が適切なのではないかと説いています。また、「徳」を持つ人はざらにいるものではなく、むしろ「徳」に少しでも近づこうとする姿勢、すなわち「道」が大切だと言います。
これらは、アリストテレス徳倫理学の観点では、「徳」を備えることが開花繁栄(flourishing)で、開花繁栄に近づこうとする「道」はユーダイモニア(善く生きる)に相当するでしょう。
善心の経営
一方、私たちは、以前の調査(下記記事参照)で、ウェルビーイング経営の次には「善心の経営」と呼べるものが必要になるだろうと予想していました。
見立て
これは、善意や善い活動を包含する「善」という価値が、社会の中で循環・連鎖し、経済的価値として認識されるようになるという見立てに基づいています。そして、企業経営も社会からの「善である」という認知が、差異化の要因になると予想しています。
例えば、環境に良い事業をする会社と環境に悪い事業をする会社が全く同じサービスを提供している場合、前者を選ぶ顧客が増えるのではないか?という予想です。
このとき、ウェルビーイング経営も「社員が幸せである」とか「社員が健康である」といった価値を超えて、その企業の活動が「善である」という価値を持つ必要がでてくると考えています。
仮説モデル
そこで、私たちは、最近の企業不祥事の例も鑑みながら、「未来のウェルビーイング経営(善心の経営)」として、図3のような概念モデルを仮定しています。
この概念モデルは、善心が、経営思想・組織文化・事業を通して、収益と連動することを表しています。そして、上手くこれらが連動し、すべてのステークホルダーにとって「善」である事業を営むことが、未来のウェルビーイング経営なのではないかという仮説になります。
では、各要素は、どのように連動するのでしょうか?
まず、収益が事業によってもたらされることには、異論は無いかと思います。そして、経営戦略論のリソース・ベースド・ビューによれば、事業が持続的競争優位性を持つには、競合他社からは不可視のその企業の組織文化が反映されている必要があります。
一方、名和(2024)によれば、パーパス経営では、パーパス(志)がプリンシプル(原理)を通してプラクティス(実践)に落とし込まれていなければなりません。ここで、パーパスを経営思想、定着したプラクティスを組織文化と読み替えれば、経営思想と組織文化の連動が経営に必要だと言えるでしょう。
しかし、経営思想には、善い思想も悪い思想も考えられます。例えば、「顧客よりも利益を優先する」という思想は、顧客を騙して利益を得る詐欺行為を助長するため、善い思想とは言えません。そのため、経営思想には「善心」が必要になると考えられます。
観察検証
私たちは、この仮説を持って、ウェルビーイング経営を実践する企業をいくつか訪問させてもらいました。
それらの企業のいくつかは、業績不振に陥った頃にウェルビーイング経営を始めたところ業績が回復していき(ただし、各社はウェルビーイング経営とは言っていません)、今では経営品質大賞等を受賞するに至っています。
そして、訪問した企業の観察と分析を通して、私たちは、図5の「善心」に相当する概念(利他性など)を大切にしていることを見つけています。しかしながら、この概念モデルがどこまで普遍性を持つのか分かっていません。
私たちは、現在、各要素が連動するメカニズムの詳細を明らかにしようとしています。
まとめ
今回は、私たちの仮説も含めて、企業経営に関する3つの提案をご紹介しました。
組織の徳倫理学 … 現代徳倫理学のビジネス適用
エシックス経営 … パーパス経営の次の段階
善心の経営 … ウェルビーイング経営の次の段階
それぞれ、アプローチは異なりますが、組織の「善」「正しさ」「徳」といった倫理学的概念に辿り着いていました。これは、現在の企業経営では、組織の「善」「正しさ」「徳」といったものが注目されておらず、今後の企業経営にこういった概念が必要になるだろうという示唆を表しています。
直近では、これらはコンプライアンス問題を回避するために企業経営に必要になります。しかし、名和(2024)が倫理の定義に「発展」という言葉を用いたように、これらは、不正を正す機能なだけでなく、利益や成長ではない企業の開花繁栄への道とも考えられます。
筆者の研究者としての経験則には、「複数の異なるアプローチが同じ結論に辿り着くとき、その結論は真理に近づいている」という感覚があります。
もしかすると、今後の企業経営には「善」「徳」「正しさ」あるいは「倫理」といった観点が、企業経営の中核になっていくかもしれませんね。
執筆:山本
参考文献
杉本俊介. (2022). 組織の徳倫理学 組織不祥事を評価する枠組みの提案. 日本経営倫理学会誌, 29, 253-265.
Gowri, A. (2007). On corporate virtue. Journal of Business Ethics, 70, 391-400.
MacIntyre, A.(1981)After Virtue, Notre Dame, Indiana: University of Nortre Dame Press. 3rd edition, London: Duckworth, 2007.(邦訳:アラスデア・マッキンタイア. (1993). 美徳なき時代. 篠崎栄訳. 東京: みすず書房.)
生命保険契約問題特別調査委員会. (2019).「調査報告書」
保険金不正請求問題特別調査委員会. (2023). 「調査報告書」