【基礎知識】スピリチュアル・ウェルビーイング|身体的・精神的・社会的ではないウェルビーイング
「ウェルビーイングの定義」の説明として必ずと言っていいほど引用されるのが、世界保健機構(WHO)の世界保健機構憲章前文の「健康の定義」でしょう。皆さんも、一度は目にしたことがあるかもしれません。
しかし、1998年に、この「健康の定義」の改正が発議されたことは、あまり知られていないかもしれません。その時の改正案は、次のようなものでした。
つまり、「dynamic」と「spiritual」という単語を組み入れようとしました。
1999年、第52回WHO総会で、改正案の討議は行われたようですが、優先順位が高くない等の理由で審議されず、憲章全体を事務局長が見直し続けていくこととなったようです。(参考)
しかし、ここで重要なのは、身体的・精神的・社会的に続く、4番目のウェルビーイングとして、スピリチュアル・ウェルビーイングが挙げられたことではないでしょうか?
スピリチュアル・ウェルビーイングとは、大雑把には信仰によって感じる幸福のことです。宗教と関わりが深いですが、必ずしも宗教への信仰である必要はありません。例えば、日本なら、「詫び・寂び」や「いき・野暮」といった美学や思想が近いかもしれません。
「ウェルビーイングと言えば、身体的・精神的・社会的の3領域」と覚えている方もいるかもしれませんが、この3領域は最小限にすぎません。逆に言えば、第4・第5の領域が存在しないことを示してはいないのです。
そこで、今回は、第4の領域の第一候補であるスピリチュアル・ウェルビーイングについて、簡単にまとめたいと思います。
<この記事で分かること>
身体的・精神的・社会的ウェルビーイング以外にも、スピリチュアル・ウェルビーイングが研究されている。
スピリチュアル・ウェルビーイングには、宗教と無関係な部分(実存的・環境的ウェルビーイング)もある。
看護領域で、スピリチュアル・ウェルビーイングの効果(ネガティブ心理の予防)が確かめられてきている。
歴史的背景
社会情勢と必要性
Buffordら(1991)によれば、1950~1960年代の米国は、社会不安、薬物やアルコール依存、社会的・政治的疎外、家族のフラグメント化が進み、その反動として、米国政府は、1960~1970年代に生活の質(Quality of Life, QoL)をモニタリングするために、教育、所得、雇用、健康、住宅などの社会指標を測定し始めました。
しかし、この事実が「生活の質は、客観的指標だけでは決まらない」という認識を強め、主観的QoLの必要性が説かれるようになりました。この主観的QoLを測定するために、Diener(1984)らによって主観的ウェルビーイングの尺度開発が進みました。主観的ウェルビーイングの尺度の歴史は、以前の記事にありますので、もしよければ下記の記事をご覧ください。
ほぼ同時期に、ウェルビーイングに対するスピリチュアリティの重要性が指摘されています。
宗教的信念と実践が、多くの米国人にとって重要(Gallup, 1980, "National Opinion Poll")
老齢期における調整には、宗教が重要になる(NICA, 1975)
Campbellの人生満足度データの再分析からは宗教の重要さが指摘された(Hadaway, 1978)
以上、①社会的指標の不十分さ、②米国人の生活の質には宗教が必要なこと、③ウェルビーイングにおけるスピリチュアリティの重要性、などから、スピリチュアルなウェルビーイングを測定する手段が必要とされていました。
研究のはじまり
スピリチュアル・ウェルビーイングの研究は、Ellison(1983)が概念と尺度を発表したことに端を発します。
Ellison(1983)は「QoLは、物質的・心理的・スピリチュアル的ウェルビーイングを含む形で概念化される」とし、「良い生活(good life)」の現代版を描きました。
しかし、物質的・心理的に続く、第3次元の超越的(transcendence; スピリチュアルとほぼ同義)は、QoLの文脈ではほとんど触れられることはありませんでした。
この次元について研究するために、Paloutzian&Ellison (1982)は、スピリチュアル・ウェルビーイング尺度Spiritual Well-Being Scale (SWBS)を開発し、Ellison(1983)が発表しました。
スピリチュアル・ウェルビーイングとは?
1975年、高齢者に関する全米宗教間相互協力委員会(National Interfaith Coalition on Aging, NICA)は、スピリチュアル・ウェルビーイングを次のように定義しました。
この定義の重要な点は、「人生の肯定」と「全体性」です。
「全体性」は、人生の一側面(例えば良い面)だけではなく、良い面も悪い面も含んだ人生全体を指しています。
「人生の肯定」は、どんなに否定的な状況にあっても、人生に意味を与え、人生全体を肯定していくことを意味しています(鶴若・岡安, 2002)。
しかも、現実を無視した楽観主義ではなく、過去の否定的状況も肯定的に捉えて自己統合していくことを意味します。
スピリチュアリティとの違い
スピリチュアリティは、スピリチュアル・ウェルビーイングとよく似ていますが、信念・行動・サポートなどを含むより広範な人間の活動を表しています。
これに対して、スピリチュアル・ウェルビーイングは、行動やサポートは含まず、個人の発達の範囲で使われることが多く、スピリチュアリティの結果、あるいは操作化であるとも言われます(Monod et al., 2010; Chowdhury & Fernando, 2013)。
スピリチュアリティにしろ、スピリチュアル・ウェルビーイングにしろ、宗教の信仰や実践との関連で語られることが多いですが、必ずしも宗教性を必要とする訳ではありません。
実際、Jans-Beken & Wong (2021)では、スピリチュアリティは、「私たちが自分自身をどう定義し、世界をどのように捉え、他者とどのように関わり、倫理的・道徳的な判断を下すか」を表すとし、宗教がなくとも成立することを説明しています。
2次元モデル
Moberg & Brusek (1978) は、スピリチュアル・ウェルビーイングには2つの次元が含まれるとしました。1つは、人と神などの高次の存在との関係性の次元です。もう1つは、人生の意味や目的の感覚を表す次元です(Ekşi & Kardaş, 2017)。これにより、スピリチュアル・ウェルビーイングには、宗教性とは無関係な次元があることが明確化されました。
Ellison (1983) は、これをもとに、高次の存在を表す垂直次元を「宗教的ウェルビーイング」、人生の目的や満足を表す水平次元を「実存的ウェルビーイング」と定義し、これらを測定するSpiritual Well-Being Scale (SWBS)を開発しました。
SWBSは、開発者の1人でもあるPolautzianによって、各国語版がウェストモント大学で公開されています。
SWBSは、後発の尺度が必ず比較するスピリチュアル・ウェルビーイングのベースラインとなる尺度です。Pellengahr (2018) によれば、SWBSはスピリチュアル・ウェルビーイングの測定尺度として2番目によく使われています。しかし、日本語版はありませんので、参考までにDeepL翻訳を載せておきます。
4領域モデル
前述のNICA(1975)の定義では、スピリチュアル・ウェルビーイングには、自己(self)、コミュニティ(community)、環境(environment)と神(God)の4つの領域があることを提唱しています。
これを参考にして、Fisher(1998)は、中学校の生徒と教師を対象にスピリチュアル・ウェルビーイングの定量的調査を行い、調査結果が自己(or個人)・他者(or対人)・自然(or環境)・神(or超越)の4領域にまとめられることを確認しました。
「個人」領域は、人生の目的や意味、価値を表し、「対人」領域は、愛・正義・希望・信仰を含む、個人間の関係の質を表します。「環境」領域は、環境への畏敬・不可思議・統合の感覚を含む、物理的・生物学的な世界を養い育てることを表します。最後に、「超越」領域は、神・信仰・崇拝・超越した現実・宇宙の力・宇宙の神秘などの人間レベルを超えた何かとの関係性を表します。
Gomez & Fisher (2003)は、Fisherの4領域モデルに基づいた尺度Spiritual Well-Being Questionnaire (SWBQ)を開発し、各領域に含まれる要素を定量的に明らかにしました(図3)。
スピリチュアル・ウェルビーイングの効果
近年、スピリチュアル・ウェルビーイングの論文数は着実に増加しており、効果に関する論文も多数出版されています。特に、看護分野での効果を確認した研究が多いですが、これは、McClainら(2003)が、ガン末期患者の緩和ケアに関する効果「スピリチュアル・ウェルビーイングが、ネガティブ感情の緩衝材となる」を確認したことが契機になっているかもしれません。
このほか、Pellenaghr(2018)のレビューによれば、スピリチュアル・ウェルビーイングには「メンタルヘルスや一般的な疾病の予防と正の相関がある」「人生で困難な状況に陥ったとき、さまざまな対処を容易に行えるようになる効果がある」「患者の闘志と正の相関がある。力強さや闘争心を高める」「深刻な疾病の患者の生活の質を改善する可能性がある」といった効果があるようです。
また、Ekşi&Kardaş(2017)によると、スピリチュアル・ウェルビーイングは、「自尊心や、困難や苦悩に対処するレジリエンス能力の強力な予測因子である」「自分の可能性を最大限に引き出し、人生の目的を探求し、自己表現し、行動を起こす能力と結びついている」「満足のいく人生を追求し、他者への貢献を通じて、愛・楽しみ・平和を促進する」という効果があるそうです。また、スピリチュアル・ウェルビーイングの一部である「超越的な目的の追求」は、重要な時期におけるエンパワーメント・安定性・サポート・方向性の一致感を高める効果があるといいます。
これら以外にも、最新の研究では、次のよう結果が得られています。
実存的ウェルビーイングは、燃え尽き症候群に対する防御因子であった。(Oglesby, Gallucci, et al., 2021)
スピリチュアル・ウェルビーイング(FACIT-sp)は、人生満足度や希望と有意に関連していた。(Özdemir, Kavak Buda, et al., 2023)
外科看護師のスピリチュアル・ウェルビーイングは、臓器移植患者へのケア満足度の向上に寄与する。(Kula Sahin, & Bulbuloglu, 2023)
集中治療室の看護師のスピリチュアル・ウェルビーイングとコンパッション疲労の間には、有意な正の相関があった。(Ünlügedik, & Akbaş, 2023)
マインドフルネスに基づくトレーニングは、乳癌患者のスピリチュアル・ウェルビーイングと生活の質(QoL)を高める可能性がある。(Oner Cengiz, Bayir, et al., 2023)
実存的ウェルビーイングは、男女とも自尊心と抑うつに対して有意な直接効果を示した。女性は、実存的ウェルビーイングは、自尊心を媒介として抑うつに有意な間接効果を示した。宗教的ウェルビーイングは、男女ともに自尊心や抑うつに影響を与えなかった。(Yoo, 2023)
内発的宗教志向は、感情的知性(EQ)やスピリチュアル・ウェルビーイングを媒介して、家庭の食品廃棄防止行動に影響を及ぼす。(Khorakian, Baregheh, et al., 2024)
やはり、看護分野で活発に研究が進んでいるようです。
まとめ
今回は、身体的・精神的・社会的ウェルビーイングに続く、第4のウェルビーイングの候補であるスピリチュアル・ウェルビーイングの研究についてまとめました。この記事をまとめると次のようになります。
身体的・精神的・社会的ウェルビーイング以外にも、スピリチュアル・ウェルビーイングが研究されている。
スピリチュアル・ウェルビーイングには、宗教と無関係な部分(実存的・環境的ウェルビーイング)もある。
看護領域で、スピリチュアル・ウェルビーイングの効果(ネガティブ心理の予防)が確かめられてきている。
日本では、信仰する宗教を持たない人も多く、宗教に嫌悪感を抱く人もいますが、世界的には多くの人々が宗教を信仰しています。宗教は人々に生き方を説くため、人生の目的と関連するユーダイモニア的なウェルビーイングと関係することは容易に想像できるでしょう。
しかしながら、スピリチュアル・ウェルビーイングの2次元モデルでは、宗教と無関係な実存的ウェルビーイングを内包することで、必ずしも宗教に依存しないウェルビーイングになっていました。一方、4領域モデルでは、個人・対人のウェルビーイングを超えて、自然環境的ウェルビーイングや超越的ウェルビーイングの存在も示唆されています。
実存的ウェルビーイングや自然環境的ウェルビーイング、超越的ウェルビーイングは、歴史的に主観的ウェルビーイングの議論には取り込まれてきませんでした。一方、現在、看護領域でスピリチュアル・ウェルビーイングの有用性が確かめられつつあります。今後は、主観的ウェルビーイングを超えて、これらのウェルビーイングを考えていく必要があるのかもしれません。
(筆者:山本)
当社の研究について
参考文献
Diener, E. (1984). Subjective well-being. Psychological bulletin, 95(3), 542.
Hadaway, C. K. (1978). Life satisfaction and religion: A reanalysis. Social forces, 57(2), 636-643.
鶴若麻理, & 岡安大仁. (2002). 高齢者の生きがいに関する研究―Spiritual Well-being の視点から―. 臨床死生学, 7(1), 47-52.