【基礎知識】実存的感謝−苦しんだことへの感謝
人生の転機の話を聞くと、「大病を患い、死の危機に瀕した後、そこから回復したときに人生観が変わった」という人たちがいます。例えば、ある人は、今では謙虚で優しいですが、「昔は、威圧的だった」と言い、性格が180度変わってしまったそうです。このような体験をした人たちは、「今では、人生観が変わるほどの体験ができたことに感謝している」という発言をよくします。このように苦痛に満ちたネガティブな出来事を、ポジティブに自己統合する感謝のことを、実存的感謝と言うそうです。
今回は、実存的感謝の尺度に関する研究とその背景にあるポジティブ心理学2.0の考え方をご紹介いたします。
ポジティブ心理学2.0
実存的感謝は、ポジティブ心理学2.0の領域の代表的な例として研究が行われています。
ポジティブ心理学2.0は、以下のようなポジティブ心理学の課題を解決するために、ポジティブとネガティブの間のダイナミックな相互作用を取り入れ、弁証法的にバランスの取れた理解を求める取り組みです。つまり、ポジティブ心理とネガティブ心理のアウフヘーベンを目指します。
ポジティブ心理学の課題
苦しんでいる人々に幸せであれという重荷を課してしまう
幸福の追求は人々を不幸に導く可能性がある
人間の経験は「ポジティブ」と「ネガティブ」に分類しきれない
このような課題に対して、ポジティブ心理学2.0では、以下を目指します。
ポジティブ心理学2.0の狙い
永続的で持続可能なウェルビーイングの実現を目指す
人間の暗黒面を受け入れ、変容させる
望ましくないことや不快なことの克服の必要性を確認する
フランクルの「悲劇的楽観主義」や、ウォンの「苦悩の中での成熟した幸福」の視点を含む
冒頭の例で言うと、瀕死体験の心理がネガティブ心理を、回復後の感謝がポジティブ心理を表し、それらを自己統合した点がアウフヘーベンと言えるでしょうか。
感謝と実存的感謝の違い
ポジティブ心理学で扱われる感謝とは、他者からの善意やポジティブな結果など、人生におけるポジティブな事柄に感謝の気持ちを抱く傾向のことで、正確には「感謝の特性」と言います。「感謝の特性」は、出来事1つ1つに感じる「感謝の感情」ではなく、そのような感情を経験する素質を意味します。一言で言うならば、「感謝の特性」とは「感謝の感じやすさ」と言えるでしょう。
これに対して、実存的感謝では、人生におけるネガティブな事柄に感謝の気持ちを抱く傾向も含みます。「傾向」なので、実存的感謝も、1つ1つの事柄に対する感情ではなく、特性(感じやすさ)を表します。つまり、感謝と実存的感謝の主な違いは、「ネガティブな事柄に対する感謝の感じやすさ」になります。
これに関連して、感謝と実存的感謝には次のような違いが予想されています。
実存的感謝は心的外傷ストレス障害(PTSD)と関連するが、感謝は関連しない
実存的感謝が高い人は、感謝が高い人に比べて、スピリチュアル・ウェルビーイングが高い
フランクルは、第二次世界大戦に参加した兵士のPTSDの治療の研究を通して、悲観的楽観主義にたどり着きました。悲観的楽観主義とは、「人は悲劇的な経験にもかかわらず、未来に対して楽観的でありつづける」ことで、この信念がPTSD治療のカギになるそうです。ウォンは、このような悲劇を乗り越えるために、人生の意味、自己超越、信仰、勇気などが必要だと提唱しています。
人間は、死に瀕するほどの悲劇を乗り越えるとき、神秘的で超越的な現実を信じ、苦しみの中で人生の意味や目的を肯定的に捉えようとします。このことが、神や神との関係、人生の意味や生きる意味を考えるスピリチュアリティを高める結果になるようです。ただし、スピリチュアリティは、私たちが自分自身をどう定義し、世界をどのように捉え、他者とどのように関わり、倫理的・道徳的な判断を下すかを表しており、必ずしも神などの宗教性を必要とはしません。
実存的感謝の測定
実存的感謝を測定する尺度を2種類ご紹介します。どちらも信頼性と妥当性の検証は行われており、一定の確からしさは保証されています。
感謝尺度 Gratitude Questionnaire 20-items (G-20)
G-20は、スペインのベルナベ=バレロら(2014)によって開発された感謝の測定尺度で、もともと「感謝には、人に対する感謝のほかにも、神や自然などに対する感謝もある」という考えの下、特性感謝尺度GQ-6の範囲を超える感謝を測定しようとして開発されたものです。G-20は、次の4つの因子で構成されています。
G-20では、対人的感謝が通常の感謝を表し、苦しみに直面した時の感謝が実存的感謝を表します。
G-20は、特性感謝尺度GQ-6と中程度の相関(r=0.52, p<0.01)があるため、GQ-6と同等でも無関係でもない概念を別の基準で測定していると考えられます。つまり、感謝に関する概念ですが、感謝特性ではなく、実存的感謝を測定している可能性があります。
実存的感謝尺度 Existential Gratitude Scale (EGS)
EGSは、ジャン=ベッケンとウォン(2017)によって、実存的感謝を測定する目的で開発された尺度で、前述のPTSDやスピリチュアル・ウェルビーイングとの関連を調べるために開発されたものです。EGSは、10個の質問項目で1因子を測定し、チェック用の質問を3項目含んでいます。
実存的感謝尺度EGSと特定感謝尺度GQ-6を従属変数とし、既存のPTSD症状を調べるトラウマ・スクリーニング質問票(TSQ)とスピリチュアル・ウェルビーイング尺度(SWBS)の下位尺度(宗教的ウェルビーイングと実存的ウェルビーイング)を独立変数とした重回帰分析の結果は図1のようになりました。
結果として、実存的感謝はPTSDと関連するものの感謝は関連しないこと、スピリチュアル・ウェルビーイングは実存的感謝と感謝の両方に関係することが分かりました。ただし、スピリチュアル・ウェルビーイングの下位尺度で見ると、宗教的ウェルビーイングが実存的感謝に、実存的ウェルビーイングが感謝に関係することが分かりました。
上記の結果は、PTSD症状を持つ人は実存的感謝を感じやすいことを示しています。一方、「悲劇を克服し、感謝によって悲劇を肯定的に統合する」実存的感謝を感じる人は、フランクルの悲劇的楽観主義の状態になっていると考えられます。このことから、PTSD症状を持つ人がより実存的感謝を感じられるようにすれば、治療効果が高くなる可能性があります。また、上記の結果は、実存的感謝特性を向上するには、宗教的ウェルビーイングの向上が有効化もしれないことを示しています。
まとめ
この記事では、ポジティブ心理学2.0の概要を解説し、その典型例である実存的感謝について概説しました。
また、実存的感謝を測定する尺度を2種類(G-20とEGS)紹介し、以下の結果をご紹介しました。
G-20はGQ-6が測定する「感謝の特性」とは異なる感謝を測定している
EGSは、PTSDと関連している
EGSは、宗教的ウェルビーイングと関連している
GQ-6は、実存的ウェルビーイングと関連している
おそらく、内藤ら(2010)が感謝介入の方法として研究している内観療法も、過去の苦しみを振り返る方法なので、実存的感謝が関係しているかもしれません。
皆さんも、自分の転機を振り返って感謝してみるのはいかがでしょうか。
筆者:山本